忌野清志郎

2012年3月18日 (日)

瀕死の双六問屋 完全版 / 忌野清志郎

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この本に書かれているエッセイは、もともとは90年代後半に雑誌TV Bros.に連載されていたもの。2000年にCD付きで単行本化されたのだが、それは数年で絶版になってしまう。その後、清志郎の病気療養後の復活に併せて2007年に文庫化されたんだけど、そこにはCDが付いておらず、今年の2月になってやっとCD付きで単行本が再版されることになった。表紙も漫画家の浦澤直樹が書き直し、これまで未収録だった原稿が10篇以上も挿入されたから、前のバージョンを持っている人でも購入する価値は十分あるんじゃないかな。これが文字通りの完全版。僕はほんとは一番最初の単行本の表紙が一番好きなんだけどね…。

清志郎関連の書籍はたくさんある。だけど、僕にとって「双六問屋」は、「ロックで独立する方法」と共に、他とは一線を画すものだ。それは、ここでの清志郎はかなり本音に近い思いを吐露しているように感じられるから。いつものようにユーモアと比喩でオブラートに包んではいるが、社会の不条理と業界の理不尽さに対してかなりストレートに毒を吐いているように感じる。
こうなったのは、清志郎自身があとがきで暴露しているとおりだ。ぶっちゃけた話、他の本はゴーストライターやインタビューおこしで書かれたものがほとんどなのだが、「双六問屋」に関しては、すべて清志郎が自分で書いたと発言している。要するに、ここに書かれた文章は当時の清志郎の頭の中そのものなのだ。

完全版が出たのに際し、数年ぶりにまた読み返してみたのだが、読んだ当初のインパクトは全く色褪せてなかった。君が代、憲法、自殺問題、アルバム発禁、音楽業界の馬鹿さ加減…。一見とっちらかって見えるテーマの文章は、読み進むうちに不思議な整合性を持って頭の中を駆け回る。かつて清志郎は、この本を“サイケデリック・ノベル”とかなんとか言ってたけど、ほんとにそんな感じだ。
取り上げられる音楽も、R&Bのマスターピースから、当時売り出し中の若手まで幅広く、それをエッセイの中にネタとして仕込んであるってのもなかなか凄い。

解説の町田康も指摘してるんだけど、もう10年以上前に書かれたものなのに、今に至るこの国のぶざまな有り様を予言しているような部分もあちこちに見受けられる。
あれから僕らは立場に関係なく崖っぷちに追い込まれてしまった。四十一話にあるような、不寛容な態度、ユーモアの欠如は、いまや国全体を覆っている空気そのものではないか。
オレは夜中にこれを読んじゃって後悔したよ…。読んでると、なんだか清志郎に首根っこを掴まれてるような錯覚に陥るのだ。何やってんだろう、オレたちは…。頭の芯が冴え渡っちゃって眠れやしない(苦笑)。

まだ未読の人は是非どうぞ。
いまや「双六問屋」は「瀕死」だ。

2011年12月 3日 (土)

【映画】忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 感度サイコー!!!

Photoオレ、実を言うと、ナニワ・サリバン・ショーが実際に行われた当時は、これがそれほどのもんだとは思ってなかったのだ。
もともと僕は、おふざけモードの清志郎にはそんなに入れ込んでなかったし、そもそもこの頃は、清志郎の活動そのものにクエスチョンマークを抱いていた時期だった。ナニワ・サリバン・ショーに関しても、後にCSで放送されたやつを見はしたけれど、まーた清志郎が変なこと始めてるなあ、ぐらいにしか感じず、実際に大阪まで足を運ぼうとは思わなかったのである。
しかし、こうして改めて映画を見てみると、このイベントの素晴らしさ、こういうことをやろうとした清志郎の気持ちが強く伝わってきて、今更ながらに行かなかった事を大きく後悔してしまう。

ライブの映像を見ていて一番印象的だったのは、清志郎の素晴らしさは言わずもがなだが、出演したミュージシャンたちも、みな本当に嬉しそうな表情を浮かべていたことだ。布袋寅泰とか浅井健一とか、普段の自分のライブだったら絶対にこういうモードにはならないような人たちまで、まるで子供のように楽しそうな笑顔を浮かべてステージに立っている。ジャンルや年代にかかわらず、すべてのミュージシャンをこんな風にしてしまう清志郎の器の大きさを改めて感じた。

それから、こういう企画をクリエイターに想起させてしまう忌野清志郎という男の存在感にも改めて感服。アルバム「KING」に「玩具」って曲が入ってたけど、忌野清志郎というネームを触媒にしていろんな企画が持ちかけられ、それを当の本人が一番面白がってやってしまうという清志郎の真骨頂を垣間見たような気がする。
そう、ナニワ・サリバン・ショーは大阪のイベンターやFM802のプロデューサーが発案したイベントなんだけど、はじめに清志郎ありきだからこそ出てきた企画だと思うのだ。こういうイベントのコンダクターとして、清志郎以上にハマる人は他に考えられない。今、こんな企画を担えるようなミュージシャンがいるだろうか?CHABO?浪花モードはCHABOにはちょっとキツイでしょう。ヤザワ?えー!全然タイプじゃないでしょう!ヒロト?うーん、R&R村ならともかく、これだけジャンルの広いミュージシャンとの共演はちょっと…。トータス松本?うーん、彼があと20年キャリアを積んだら、もしかしたら…。
こういう映像を見てしまうと、改めて忌野清志郎という旗頭を失った日本の音楽界の喪失感を感じてしまう。

最初、僕はこの映画の話しを聞いたとき、何でいまさら映画なんだよ?って思った。正直言うと、商業的な匂いを感じてちょっと嫌な気持ちになった。映画なんか作るなら、ナニワ・サリバン・ショーそのものをそっくり映像作品にしちゃえば良いじゃん。主役がいないのに勝手にいじくってんじゃねえよ!って思ってた。
でも、映画を見てこれはこれで大いにアリだと思ったな。むしろ、こういうコテコテな映像を付けた事により、ナニワ・サリバン・ショーの狙ってたノリが、ますます引き出されることになったんじゃないかなあ…。挿入されたミュージシャン達の演技も最高に楽しいものばかり。石やんとせっちゃんの蕎麦屋とか、似合い過ぎてるLeyonaのホステスぶり(笑)とか、もう最高!
いやあ~やられた!映画のスタッフ陣、よくわかってるなあ…。なんだかアメリカで作られた音楽レビュー作品を見ているような楽しさがあった。こういう愛のある企画はイイ。すごくイイと思う。

胸に迫ったのは、やっぱり清志郎と矢野顕子との絡み。僕はこの2人は精神的な恋人同士だと勝手に思っている。
ものすごく勝手な妄想をしちゃうと、矢野顕子は坂本龍一と出会う前に清志郎と出会っているべきだったのだ。もしそういうことになっていたら、2人のその後は大きく違っていたはず。でも、そういうことにはならないのもまた人生。どんなに金や名声を掴んでも手に入れられないものがあり、本当に大切な人に出会った時には何かが遅い。そういうことってあるでしょう、誰もが?(ちょっと問題発言かな…(苦笑))
だから、2人のステージは、時を経て初恋の相手だった同級生と再会した時のように初々しく、少し切ない。矢野顕子は、ライブ映像だけでなく、挿入された映画での演技も多かったんだけど、そこからは彼女が胸の奥に抱えている喪失感が滲み出ているような気がしたのは僕だけだろうか?

さて、CHABOはこの映画にどう関わっていたか。これはあえて書かないでおく。これから見る人に、先入観を持たずに見て欲しいから…。
でも、これだけは書かせて欲しい。CHABOのパートには製作側の愛をひしひしと感じた。これは演技ではなく、ほとんどCHABOの素だ。そして、CHABOの独白から繋がる「Oh! RADIO」には、この曲がやっと落ち着くところに落ち着いたような気持ちになった。

楽しい映画だった。うん、楽しい映画だったとあえて言いたい。
この映画の主役がもうここにはいないという現実は辛いし、そういうことをひしひしと感じてしまう瞬間もあるにはあるんだけれど、矢野顕子もCHABOも、そういうことは胸の奥にしまいみ、あえて楽しいナニワ・サリバン的な世界を表現したんだと思う。
ならば、僕らもそうやって生きていこうではないか。清志郎がいない喪失感は消えることはないが、それでも僕らの人生は続いていくのだ。だったら、上を向いて歩いていくだけ。涙がこぼれないように…。

2011年6月30日 (木)

会話のつづき ロックンローラーへの弔辞 / 川崎徹(著)

2170342_2これは、あれから2年経って、80年代にRCと仕事をしたCMディレクターが、静かに淡々と“あの人”のことと、自らにまつわるいくつかの「死」を語った哀悼集である。

2年前のあの日、誰もが感じたことは、「死」というものへのこれまでにないほどのリアルな実感だったのではないだろうか。僕自身のことを言えば、それまでに肉親の死や友人の死などを経験してはいたが、これほど「死」が自分の近くに迫る感覚を味わったことはなかった。世代の拠り所を喪失することが、肉親や親しかった人との別れの悲しみとはまた違う、これほど大きな痛みを伴うことを、僕はあの日はじめて知ったのだ。

あの日以来、自分の中で何かが変わった。それは、ひと言で言ってしまうと、誰であろうと「死」からは決して逃げられないという達観だ。どんなに健康だろうと、いつか突然僕は癌になるかもしれない。もしかしたら今日の帰り、暴走したトラックにひかれてぺちゃんこになってしまうかもしれない。それは確立の話ではなく、いつ起きてもおかしくないこと。「死」は「生」のコインの裏側のように、淡々とそこにある。僕自身の「生」なんてほんとにちっぽけなものだと思うようになった。
僕がマラソンを始めたり、今度の震災で被災した古里に身を投げ出したいという衝動に駆られるのも、「死」への切迫感を感じたことと無関係ではないと思う。言い方を換えれば、こちら側にいることになった僕は、それだけのことをしないと、もはや「生」の圧倒的なリアリズムを感じることができなくなっているのだ。

この本は、川崎徹がいなくなった“あの人”と、そこから引き出された自分の記憶に残る「死」を通し、こちら側に残された者としての想いを綴った哀悼の書である。
川崎徹といえば、80年代に青春を過ごした世代だったら聞いたことのある名前だと思う。あの頃は、コピーライターだのCM監督だのがやたら持て囃され、大学生の人気就職先といえば広告代理店が上位に来ていた時代。川崎徹はCMディレクターとして飛ぶ鳥を落とす勢いだった。「ハエハエカカカ キンチョール」や、富士フイルムの「それなりに」だのを作ったのもこの人。もっというと、パルコのCMでRCサクセションをミイラにしたのもこの人だし、清志郎の著書「忌野旅日記」で彼が買ったポルシェのローンの保証人になったのもこの人。当時の川崎さんはRCサクセションと“それなりに”(苦笑)関わった仕事をしていた人なのだ。

その川崎さんが、あの日から2年経って突然こんな本を出した。しかも、80年代の派手な活躍が嘘のような地味で目立たぬ文章で。オビで菊地成孔が語っているとおり、これは非常に目立たない、静けさすら感じられるエッセイである。なにしろ、本には“清志郎”という言葉すら1回も出てこないのだから…。

たとえば、あの暑かった長い一日の描写。

「腹減った、のど渇いた、死にそうだぁ」
「バン!」
男が口で言った銃声に、女はのけぞって言った。
「こんな日に死ねて嬉しいぜ、感謝します!!」
列にいた若い男女の会話である。故人に似せた言い回しと、原色で着飾ったふたりの悲しみとは程遠いやりとりの方が、ロックンローラーを送る言葉としてはふさわしく思え、嗚咽混じりの弔辞から目を外し、忘れないうちにと走り書きした。

あの日、青山に行った人ならわかると思う。この短い文章にはワイドショーや雑誌の記事などとは違う、あの一日のリアルな空気が含まれている。

そして、川崎さんの想いは更なる死への記憶となって続いてゆく。毎日、散歩していた近所の公園のホームレスの死。母の死。父の死。そして、老い行く自分自身への想い…。この哀悼の書は、80年代にあれほど軽薄短小なコマーシャルを作り続けていた人の書いたものとは思えないような、ある種の諦観に満ちている。それは、これまでの自分の歩いてきた道を振り返るような年齢となった川崎さんが、自分の作ってきたものに対して後悔の念さえ抱いているように感じられ、時として痛々しい。
バブル期に“クリエイティブ”と呼ばれるような仕事をしてきた人が、21世紀になってから当時のことを苦渋に満ちた表現で記すのをしばしば見る。これはいったい何故なんだろう?彼らとて、当時は“それなりに”(しつこいな…(苦笑))信念を持って広告を作ってきたはずだ。それほど自分を卑下しなくてもいいんじゃないかと、僕なんかは思ってしまうのだけれど…。

ただ、自分の老いを隠さず、その影にふとため息をつき、企業の広告ではなく、自分の表現として小説に辿りついた川崎さんの気持ちが、僕には何となくわかるような気がする。
この地味さこそ、表現者としての川崎さんの誠実さなのだ。そして、静寂に満ちたこの不思議な文章には、2年前のあの日から何かが変わってしまった僕自身の気持ちとも近いものを感じてしまうのである。

2011年5月12日 (木)

違和感。

5月2日の武道館で、実はちょっと気になっていたことがあった。
もちろん、総じていいイベントだったと思うし、そのことはファンの間でも気にしていない人が多かったから、僕もあえて水をささずにそのことには触れずにおこうと思った。だけど、dokemonoさんはそのことをきちんとブログに書いていた。その勇気に感心したのと同時に、やっぱり僕も自分の気持ちに正直に、あの時感じた違和感はきちんと書いておこうと思ったのだ。

僕が違和感を感じたのは、あの日ステージとステージの隙間で流されたある映像のこと。竹中直人が例によって例のごとくハイテンションでこの日のために作られたグッズを紹介していたんだけど、そこでグッズの製作会議を模して演じられていた小芝居に、タッペイくんとモモちゃん、それに石井さんが登場していたのである。
もっと別なカタチで清志郎の家族がイベントに出てきたならば、僕もそれほど複雑な気持ちにはならなかったかもしれない。しかし変てこな小芝居で、しかもグッズの宣伝をするというのは、果たしてどうなんだろう…。

僕の言ってることが部外者の勝手な感想だってことはよくわかってる。当人達が納得して出てるんだったら、それでいいのかもしれない。
でも、ちょっと嫌な匂いがしたのだ、オレは。正直言って悲しくなった。タッペイくんにはこういった形で表に出て欲しくはなかった。

ファンの間では、クロマニヨンズのステージ終了後に清志郎の映像が流れたことについて、賛否両論あったみたいだけど、オレにいわせりゃそんなことこそどうでもいいこと。っていうか、趣旨を考えればあれは必要なことだったと思う。僕の中では全く違和感はなかった。
だけど、件の映像を含む、ステージの合間合間の“忌野清志郎ニュース”、あれは必要だったんだろうか?僕の言ってるのはそういうことだ。もし、あのイベントにあの部分がそっくりなかったら、イベント全体の印象ももっと違ったものになっていたのではないだろうか?

わかってるさ。僕の言ってることは、青臭いファンの感傷だ。
でも、僕は清志郎をこれ以上変なアイコンにして欲しくないと思う。まして、そこにタッペイくんが関わっているのを見るのはなんだか悲しい気分になってしまう。
少なくとも、それはRCサクセションの楽曲を歌い継いでいくということとは、何か違うのではないだろうか…。

2011年5月 2日 (月)

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace / 2011年5月2日(月)

正直言って、もしCHABOが参加していなかったら僕はこのイベントに足を運ばなかっただろう。この日、日本武道館には1万人を超える人々が集まったが、彼ら一人ひとりに僕は尋ねてみたい。あなたは何が見たくて武道館に来たのですか?ただ純粋に清志郎が好きで、彼の名を冠したイベントなら何はともあれ行ってみよう。清志郎を通じて知り合ったファン同士が同じ空気を共有するならば、自分もその場にいなければ。そんなことを思った人たちが大勢いたに違いない。僕も、ファンなら本来そんなふうに振る舞うべきだとも思う。だが、どうしてもそういう風には気持ちを持っていけないのだ。たぶん、僕は純粋なファン気質を持った清志郎好きではないのだと思う。
はっきり言うと、この手のイベントにはどうしても懐疑的になってしまう。清志郎が居ないのにこんなことをしていいのだろうか?それは道義的に許されるのだろうか?どっかで誰かがRCや清志郎の名を使って金儲けしてるだけなんじゃないだろうか?オレたちはまんまとそれに乗っかっちゃってるんじゃないのか…、なんてことまで考えてしまうのだ、オレは。
それに単純に怖かった。だって、RCや清志郎のナンバーを清志郎以外のミュージシャンが歌ったって、逆立ちしたってオリジナルには勝てっこないじゃないか。そんなのを見たら、また清志郎の不在を強く感じてしまうだけになってしまうのではないかとも思った。青臭いと言えば言え。だけどこっちだって、あれから2年、いろんなことを積み上げながらここまで気持ちを整理してきたのだ。

唯一僕が見たかったのは、この日のスペシャルバンド。CHABOとこーちゃん、それに梅津さんと片山さんが一緒にRCを演奏するというのは素直に嬉しかったし、純粋に見たいと思った。これはかなりの部分でRCサクセションそのもの。他のバンドメンバーも生前の清志郎と深く関わってきた人たちばかりだ。このバンドが武道館に立つところを単純に見たかった。

僕は、開演前からCHABOがどんな表情でこの日のステージに出てくるのか、すごく気になっていた。何というか、本当の気持ちを押し殺して“使命感”でやっているようだったら見てる方も辛くなってしまう。もしそうだったらどうしよう。やっぱりこの場にいることを後悔してしまうんじゃないだろうか…。
ところが、「雨上がりの夜空に」で勢いよくステージに現れたCHABOはとても楽しそうだったのだ!自然な笑みがこぼれ、すごく元気にRCナンバーを演奏していた。その佇まいは僕を心底ほっとさせた。これで自分も意外なほどに気持ちが前のめりになっていったのだ。
しかも、当たり前と言えば当たり前なのだが、スペシャルバンドの一員だったCHABOは6時間弱のイベントの中でも出番が多く、トータルすると2時間以上ステージに立っていた。イベントの趣旨をちゃんと理解していなかった僕は、これほどまでにCHABOが見られるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。
そして、何よりも嬉しかったのは、名うてのプレイヤーばかり集めたこのバンドの中でも、CHABOは間違いなくバンドマスター的な存在に見えたことだ。終始エレキギターを弾きまくり、自身もRCや清志郎の曲を思い切りシャウト。日本を代表するミュージシャンを招いても、実に堂々たるホストぶりを発揮してステージを盛り上げていた。素晴らしいミュージシャンシップ!泣けた。カッコよかった。プロだった!
ああ、なんてすごい男なんだろう、CHABO…。また惚れ直してしまったなあ…。

何度でも言う。本当にCHABOは素晴らしかった。ファンであるという贔屓目抜きにしても、この日集まったそうそうたるミュージシャンの中で、CHABOのパフォーマンスがベストだったと僕は確信している。そして、観客も参加したミュージシャンも、CHABOがここに居る意味を良くわかっていて、自然なリスペクトが生まれていたのが素敵だった。ある意味、3月の「OK!C'MON CHABO!!!」以上にCHABOの存在感が際立ったイベントだったのではないだろうか。
気合が入りまくったCHABOは、RCの曲を次々にプレイしてくれた。十代の頃から何千回と聴いてきて耳に焼き付いてしまっている「自由」や「ドカドカうるさいR&Rバンド」のリフ、そして「よそ者」の汽笛が鳴るような物悲しいイントロが、「Sweet Soul Music」でのブルーデイ・ホーンズとの絡みが、惜しげもなく目の前で展開されているのだ。これが興奮しないでいられるか!ただ違うのは、ボーカルが清志郎じゃないことだけ…。でも、それで哀しくなるようなことはなかったんだな、意外にも。

心に残るシーンは幾つもあった。はっきり言って、CHABOのかかわった曲のすべてに聴き所があったと言っても過言ではない。
特筆すべきは、この日のCHABOはGRECOのORIGINAL NAKAIDO MODELを多用していたこと。RC後期はストラトを使うことも多かったCHABOだが、やはり僕などはRCでのCHABOのギターというとこいつが印象深い。そして、実際2011年の今でも、このギターはすさまじい破壊力を秘めていたのだ。金子マリをボーカルに、金子ノブアキとkenkenの2人をリズム隊として演奏された「MIDNIGHT BLUE」のリフの切れ味は凄まじかった。金子ファミリーの息子たちは、明らかにグランジ通過後のラウドなビートを刻んでいるのだが、それにCHABOのギターは決して負けていなかった。「自由」や「よそ者」で使ったギターもGRECOじゃなかったかなあ…(違ってたらゴメンなさい)

そんなわけで、僕が印象に残っているのはどうしてもCHABO絡みになってしまうのだが、このイベントで印象に残っているシーンを思いつくままに記しておきたい。

まずはLeyona。彼女はスペシャルバンドのコーラスという位置付けだったので、CHABOと同じくらい長くステージに立っていたのがなにより嬉しい。「Sweet Soul Music」ではブルーデイ・ホーンズと清志郎ばりのカラミを見せてくれたのがさすがだった。「ダンスミュージック☆あいつ」も、清志郎よりむしろ自分のアルバムに入れたバージョンに近いアレンジ(CHABOのプレイもそんな感じだった)。
それから、後半には「ブン・ブン・ブン」をCHABOと金子マリとで代わる代わるに歌った。僕は前々からマリさんとLeyonaが同じステージに立つのを見たいと思っていたので、これには興奮した。しかも、Leyonaのボーカルはマリさんに全くひけをとらなかったと思う。いつの間にか、小股の切れ上がったカッコいいソウルシスターになっちまったなあ、Leyona…。

斉藤和義は、「JUMP」と「ドカドカうるさいR&Rバンド」をやったのだが、はっきり言ってデキはイマイチ。それよりもMCに惹かれたぜ、オレ。彼は“清志郎さん、カバーソングは今でも怒られますよ…”“ざまーみやがれ!”と言ったのだ。これは、例の「全部ウソだった」のことなのだけど、これを聞いてCHABOが苦笑していたのが印象に残っている。

この日は映像で様々な人からのメッセージも流されたんだけど、僕が最も印象に残ったのは黒柳徹子。例によって例のごとく、早口でだーっと喋った後、だんだん涙声になってきて、「貴方が『サマータイム・ブルース』や『ラブ・ミー・テンダー』で命がけで訴えていたことを、私は当時深刻に受け止めていなかったように思います。私は今、それを本当に後悔しています。今、本当に貴方に会いたい」って言ったんだ…。この時、会場からはものすごく大きな拍手が起こったことを、僕はずっと忘れないでいようと思う。
そう、もうひとつ言っておきたいのは、この日のイベントもこの日がやはり3.11以降であるということを色濃く感じさせるものであったということだ。未曾有の大災害。原発事故。会場は心なしかいつもより照明が暗く設定されていると感じた。こんな時、ミュージシャンとして、音楽ファンとして何が出来るのか。そして、清志郎が今ここにいたとしたら、いったいどんな歌を歌っただろう…。そんなことを考えながら進行したイベントでもあったと思う。この日は募金箱も用意され、宮沢和史あたりはMCで“是非募金してください。一人千円寄付すれば、この夜だけで1千万円以上のお金を集めることが出来る”と言っていた。実際、どのぐらいの人が募金したのかな…。ちょっと気になる。

スペシャルバンドが様々なボーカリストを迎えるステージが約1時間続くと、舞台はセンターステージへ。ここはアコースティックを中心としたセット。
トップバッターは泉谷しげるで、たぶんやるだろうと思っていた「サマータイム・ブルース」と「ラヴ・ミー・テンダー」を、やっぱり演った(笑)。この日は清志郎のいわゆる“アングリーマン”的な色合いをカバーした人はあまりいなかったので、これは全体としてはいいバランスになったのではないだろうか。
あとは、はっきり言ってこのパートであんまりぐっときたパフォーマンスはなかった。だけど、ハナレグミと矢野顕子の2人だけは凄かった。なんというか、清志郎の曲を完全に自分の世界として昇華していたと思う。
清志郎と同じ中学を卒業したというハナレグミ(というか永積タカシ)は、「多摩蘭坂」をカバーしたのだが、そこに「君を呼んだのに」を挟み込むというアレンジを施していた。時々爪弾かれるジャズマスターの音色のなんとサイケだったことか!個人的には、この日最も独特な世界観を表現し得たアクトだったと思う。
矢野顕子が歌ったのは「恩赦」と「ひとつだけ」。これも凄かった。矢野顕子だからオリジナルとは全く違う表現になることは誰でも想像できたと思うが、歌の持つ歌詞がぐいぐいと胸に迫ってきたのには驚いた。彼女の歌を聴いていて、「恩赦」で歌われている“罪深い僕ら”が、まるで清志郎のいない世界で原発事故という最悪の事態を招いてしまった僕ら一人ひとりを指されているような気持ちになったのは僕だけではないだろう。

アコースティックセットは、途中一回だけメインステージに戻る。そこで繰り広げられたのは、東京スカパラダイスオーケストラのステージ。今や、大きなフェスには欠かせない存在となったスカパラ。そういった意味では、ライブシーンにおいてのスカパラは、清志郎と似たような位置にいるといってもいいのかもしれない。
break into the lightでステージにメンバーが次々に登場してくると、「危ないふたり」と「トランジスタラジオ」をカバー。僕は「トランジスタラジオ」を彼らがカバーしたのが感無量だった。ボーカルをとったのはドラムの茂木欣一。この日、彼らは初代ドラマーの青木の命日でもあったということを語っていたが、この選曲は明らかに欣ちゃんが以前所属していたバンドの無二の親友に捧げたものだ。そう、フィッシュマンズの今は亡きボーカリスト、佐藤伸治が、生前“もし、RCの曲を一曲カバーできるとしたら…”という質問を受けた時、答えていたのがこの曲だったのだ。

後半、再びスペシャルバンドを迎えてから印象に残っているのは、なんと言っても細野晴臣。実は、僕はこの人が今日見られるということを全く知らずにいたので、かなり興奮してしまった。僕ら世代なら誰でもそうだと思うが、CHABOと細野さんが同じステージに立っているなんて信じられない出来事だ。RC+YMOだぜ、まったく…。演ってくれたのは「幸せハッピー」。これ、実は細野さんは去年の5月2日にも野音で演奏していたのだ。細野さんが、清志郎とやったこの曲をすごく大事にしていることがわかる。今の時期にタイムリーだし、スペシャルバンドの演奏でこの歌が聴けて本当に良かったと思う。
それにしても細野さん、最近気弱なことばかり言ってるなあ…。“放射能にやられて僕もそろそろお迎えが来そう…。清志郎、待っててね”なんて、冗談でも言うのは止めてほしい。まだまだ元気でいてくれないと困るよ、細野さんには。

YUKIは「自由」と「不思議」を。はっきり言って、彼女のボーカルは何を歌ってもあのとおり(苦笑)。だけどバンドの演奏には感動したなあ…。「自由」では間奏のギターソロでCHABOが思いっきり前に出てきて、YUKIと並んでギターを弾きまくった。カッコよかったなあ、あれ。普段小さなライブハウスでアコギを弾くCHABOばかり見ているとついつい忘れてしまうけど、この人はこういう大きな舞台でメジャーな人と絡んでも、全くひけをとらないスーパースターでもあるのだ。
それと「不思議」。まさか21世紀に「不思議」が聴けるとは…。でも、歌詞間違えないでくれよ、YUKI。ほんとに好きだったの?なんて突っ込みたくなっちゃうぜ(苦笑)。

奥田民生はさすがの貫禄だった。「スローバラード」の選曲にも驚いたけど、「チャンスは今夜」は盛り上がった。これはバンド全体がノリノリで、なんと片山さんのダックウォークという滅多に見れないものまで飛び出した。でも、やっぱり何と言っても民生のレスポールとCHABOによる(何を使っていたのかはよく憶えていない)ギターバトルには興奮させられた。

そしてクロマニヨンズ。この日、彼らは自身のバンドでアクトを務めたのだが、これがもう凄まじかった。この日の出演者すべての中で、間違いなく一番ロックしていた。曲も「ROCK ME BABY」と「ベイビー!逃げるんだ」という、清志郎の楽曲の中でももっともアッパーなものがセレクトされていた。清志郎から受け継いだ日本のロックのバトンはオレたちが持っている、ということを知らしめるようなパフォーマンス。特にシビれたのはマーシーのギターだ。レスポールJrのTVモデル、イエローから放たれる黄金のリフレインは切れ味抜群。特に「ベイビー!逃げるんだ」のナイフで切ったようなシャープなリフには鳥肌が立った。
彼らはもう1曲、「いい事ばかりはありゃしない」もカバー。本当はこれはCHABOのボーカルで聴きたいところだったが、ヒロトなら構わない。最高だったぞ、このカバー! 

その後、清志郎の映像が数曲流れ、三たびスペシャルバンドが登場して「ブン・ブン・ブン」と「雨あがりの夜空に」が演奏され、6時間近い長い夜は終わった。

ライブが素晴らしかったのはもちろんなんだけど、僕はこのライブの時間を通しての自分の気持ちの変化にも静かに驚いていた。スペシャルバンドの演奏を聴いているうちに、なんだか自分のちっぽけなこだわりなんかどうでもよくなってしまった。そして、いつの間にかたくさんのミュージシャンたちがRCや清志郎の曲を歌うのを、素直な気持ちで楽しむことができたのだ。
やっぱり、時間って大切だと思う。こんなことを言うのはとてもおこがましいのだが、CHABOも僕も、ここまで吹っ切れるようになったのは、あれから2年という時間が経って、清志郎の不在をそれぞれのカタチで自分の中に収めることができるようになったからなのではないかと思う。
もう一つ強く思ったこと。それはRCや清志郎の残した曲の大きさだ。“音楽というものは、作って歌ったその瞬間からもう作り手のもとを離れて一人歩きしていく…”そんなことを誰かが言っていたが、RCや清志郎の残した楽曲も、いつの間にか忌野清志郎当人よりも大きなものになっていた。清志郎ではない誰かが歌う清志郎の歌が、違和感なく大衆の耳に吸い込まれていく光景を目のあたりにするのは、僕にとって全く新しい体験だった。本当に力のある歌は、こうして歌い継がれていくものなんだろうなあ…。

さて、こういうイベントが今後も行われるとしたら、僕はどうするだろうか。正直言って、すぐには答えが出てこない。
でも、そこにCHABOが出演するのであれば、僕はきっとまた足を運ぶだろう。

2010年11月 7日 (日)

一年半後の気持ち

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雑誌「SWITCH11月号」に、今のCHABOが清志郎に対して抱く心境が語られている。「LOVE さまざまな愛のかたち」という特集の中で唐突に出てくるかけがえのない盟友への想い。やっぱり重かったなあ、俺にとっては…。

10月まで行われてきたツアーの中で、CHABOは切々と清志郎と過ごした日々を語り、彼と二人で作った曲をプレイした。そこにはある種の“覚悟”があったと僕は思う。
この雑誌でのCHABOは、そこからまた一歩気持ちが進んでいるんだなあと思った。今のCHABOは、たとえばライブを終えて独りになった時、「どうして俺は今日清志郎の話をしてきたんだろう…」と思ったりするそうだ。そして、あれから一年半も月日が経っていることに驚き、清志郎がもうここにはいないという実感がますます薄れてきていると告白している。

読んでいて、僕は胸が締め付けられるような思いがした。
最近、僕自身もつらい別れを経験したからよくわかる。CHABOはこれからもずっとこういう気持ちを抱えながら生きていくのだろう。その気持ちは、今後カタチを変えることはあるにせよ(わかり易いところでいえば、清志郎と作った曲を演ったり演らなかったりするとか)、盟友の不在をどうしても受け入れられず、自分はずっと“あいつ”とともに生きているという感覚が消えないのではないか。そんな気がする。

CHABOがこういう気持ちでいることが、彼にとって幸せなことなのかは僕にはよくわからないし、それが時間が経って落ち着くところに落ち着いた故人への“落とし前”であるのかもよくわからない。でも、いずれにしてもCHABOはそういう気持ちでいるのだろうし、僕も今後の人生の節々で居なくなった親友のことを思い出しながら生きていくことになるのだろう。それは辛いとか悲しいとか、そういうことではないのだ。なんと言うか、そうするしかないのである。
やるせないよなあ、残された方は…。でも、残った者が居なくなってしまった人を忘れずに未来を生きていくということは、イコールこんな気持ちを抱きながら歩み続けるということなのだと自分は思う。

多くのファンの気持ちとは違うかもしれないが、僕はCHABOがRCサクセションや忌野清志郎の曲を歌わなくても構わないと思っている。少なくとも、CHABOが清志郎やRCを歌うことが自然なことでは断じてない。清志郎の曲を歌うのは、清志郎の盟友CHABOが誰よりもふさわしいとか、そんな単純な話ではないのだ、これは。そうではなくて、歌ったって自然だし歌わなくたって自然。それは、清志郎の不在と闘い続けているCHABOの気持ちがカタチを変えているだけの話なんだから…。

もうひとつ言いたいこと。それはCHABOが歌う清志郎&RCは、あくまでもCHABOの歌う清志郎&RCなのだ。それを僕は忘れないでいたいと思う。言い方を変えると、CHABOが歌う清志郎&RCを聴くことは、忌野清志郎という男の圧倒的な存在感とその不在を感じることでもある。それは身を切られるように苦しいけど、そのどうしようもない喪失感に胸を焦がすことも、故人を思い続けるための残された者の生き方なのではないだろうか。

P.S. それにしてもSWITCH、創刊当時から知ってるけど、つくづくつまんねえ雑誌に成り下がっちまったなあ…。このCHABOのインタビューをまとめた記事を除くと、後のコンテンツは殆どがタイアップ記事じゃん。今回の特集だって、結局はカルチェの“LOVE”コレクションとリンクしてるというオチだからねえ。
これって愛なの、新井さん?

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2010年7月23日 (金)

「ぼくはロックで大人になった ~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~」/ NHK BShi 7月23日(金)20:00~22:00

とても丁寧に編集された番組だった。
昨年の5月以降、清志郎の足跡を辿るような特番がいくつも組まれたが、これはその中でも出色だと思う。なんと言っても、忌野清志郎という多彩な顔を持つ人物の生き方を追うのに、音楽ではなくその人生の折々に描かれた自画像で追っていくという手法が素晴らしい。

時代時代でNHKの保有する清志郎の映像も挟み込まれ、2時間引き込まれるように見てしまった。ゲストも豪華で、清志郎の恩師・小林先生をはじめ、CHABOや梅津さん、親友の三浦友和はもちろん、暗黒時代のRCのライブに足しげく通っていた、デザイナーの太田和彦さんなども登場した。太田さんは当時のRCのライブをカセットテープに録音しており、収録された貴重な未発表音源が再現されたりもした。日野高校美術部にもカメラが入るし、吉美佑子さんの姿も久々に見た。
驚いたのはリンコさんが持っているという初期のRCサクセションの秘蔵ノートだ。「鳩」や清志郎自身が所有していたノートは何度か観たことがあるけれど、リンコさんが所有していたものは今まで公開されたことがないのでは?そこには未だ発表されていない楽曲等も記されており、こんなものが存在していること自体驚きだった。
あと、RC活動休止時に清志郎が漏らした言葉、“まるで失恋したような気持ち…”ってのを今の今までCHABOが知らなかったって事実にも驚いた。それを聞かされた時のCHABOの表情もとても複雑で…。でも、もしや知らない方がよかったのでは…と謝るインタビュアーに“いやいや、言ってくれて良かったんだよ、もちろん”と気遣うところなど、いかにもCHABOらしくて心を打たれた。

改めて思ったんだけど、清志郎はロック・ミュージシャンやボーカリスト、バンドマンという肩書き以前に“芸術家”だったのだ。そして、芸術家の中でも、画家のゴッホや文学者のヘルマン・ヘッセのように自己をさらけ出すタイプの表現者だったんだと思う。だから、彼の絵は音楽と同じくらい自身の心のありようを映しこんでいる。僕が実際に昨年夏の個展で見た絵もたくさんでてきたのだが、こうして折々の作品の変遷を見ていくと、色彩の変化やシグネイチャーの入れ方にまでその時々に清志郎が何を考えていたかが反映されているようで、まだまだ気が付いていない大事なことがたくさんあることに気付かされた。
たとえば、90年代に出版された名著「生卵」。この絵の表紙はその当時の最新の清志郎の自画像であり、裏表紙は高校3年の時に彼が描いた自画像であったという合わせ鏡のような構成になっていたことに、当時いったいどれだけの人が気が付いていただろう?さらに言えば、裏表紙の“顔のない”自画像を描いてから、清志郎は一切自画像を描くことがなく、表紙の自画像は30年ぶりのものだったのだ。これ以降の清志郎は、思い出したように折々の画像をまた描きだすのだが、この事実はいったい何を意味しているのだろう?

僕らは、忌野清志郎が多作であったことを幸運に思うべきだと思う。何故なら、多彩な表現を残したこの不世出の芸術家には、作品を通してまだまだ知られざる事実がたくさんあると思わせてくれるからだ。
たとえ肉体は無くなろうと、忌野清志郎の残した膨大な作品群は、これからもずっと大事な何かを僕らに語り続けてくれるのではないか…。そんなことを強く思わされた番組だった。

この番組、現在予定されているリピート放送は8月1日の16:00から。また、NHKオンデマンドでも配信されるというから、見逃してしまった方は是非見て欲しいと思う。
繰り返すが、この番組はこれまで放映された忌野清志郎特集番組の中でも、かなり重要なものだと思う。

2010年5月17日 (月)

あの人に会いに

清志郎のご家族から思いがけない報せが届いたのは、4月最後のよく晴れた日だった。
そこには、お墓ができた旨が記載された手紙と、香典返しの品が…。
一周忌に間に合うよう、お墓を建立されたご家族のこの一年の心労は、如何ほどだったことか。ロックンロール・ショーという世間の喧騒を余所に、ご家族は大切な人を送り出した後の諸々を粛々と行っていたのだ。できることなら、ここまで漕ぎ着けた景子さんに、心からお疲れ様と言ってあげたいと僕は思った。

忌野清志郎は高尾に終の居を構えることになった。
お墓ができたということに、嬉しいという言葉を使っていいのかよくわからないが、とりあえずここに来ればいつでも清志郎に会える、そういう場所ができたことは素直に嬉しい。なんだかほっとした気持ちだ。

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今日、さっそく清志郎に会いに行ってきた。自分の気持ちの中では、どうしても今月中にお墓参りをしておきたかったのだ。

緑の山々。小鳥の鳴き声。小川のせせらぎ。爽やかなそよ風…。清志郎は、素晴しく気持ちのいい所で眠っていた。都心から離れた緑の中にお墓があるってのは、なんだかイイなあ。浮世の戯れ事はとりあえず麓に置いて、高尾の清々しい空気を吸うだけでも身も心も浄化されていくような気持ちになる。
考えてみたら、もともと三多摩育ちなんだもんな、清志郎は。日本中をツアーで回って、時にはメンフィスまでぶっ飛んじゃったりもしてたけど、結局はここに戻ってきたってわけか…。なんだか“お帰り!”って言いたくなってしまうよ(笑)。

平日の午前中。誰もいない墓地。初夏を思わせる陽射しの中で、快くまで清志郎と話をしてきた。
清志郎、なんだかむこうですごく楽しそうだったよ…。

清志郎さん、こっちはいろいろと大変ですが、まあ焦らずぼちぼちやっていきますわ、オレ。
また夏前に来ます!

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2010年5月14日 (金)

2007年、忌野清志郎+仲井戸“CHABO”麗市

41r8xyq677l__sl500_aa300__2忌野清志郎と有賀幹夫さんとのコラボレーション、写真展『NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL』の東京での開催が終わった。5月6日から11日までのわずか6日間という短さではあったが、開催中はきっと多くの清志郎・RCサクセションのファンが足を運んだことだろう。
自分は初日に写真展に行ったのだが、帰宅後に会場で購入した写真集を見ていて、あることに気が付いた。2007年に撮影された清志郎とCHABOの2ショットが、写真展と写真集とでは配置が違っているのだ。

有賀さんのコメントによれば、この写真は清志郎が「イマジン」で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた「ジョン・レノン・スーパー・ライブ」の打ち上げでの一コマで、CHABOが有賀さんの存在に気付いて視線をくれたところを1回だけシャッターを押したものらしい。
写真展では、この2ショットがトップに展示され、2枚目からは86年のRCサクセションまで一気に遡って、以後時代を追って展示が進む流れになっていた。だが、写真集では86年から始まって時系列で写真が流れ、この2ショットが出てくるのは一番最後という構成なのだ(正確には、最後の最後の写真は清志郎が愛用したテレキャスターの写真だが)。

いったい、この違いは何を意味しているのだろう?時系列で考えれば、写真集で時代順に並べてあったのを、写真展では何らかの意図で、もしくは有賀さんに何か考えがあって“あえて”変更したということになるのだが…。
じゃあ、その意図とは、有賀さんの考えとは何なのだろう?写真展の時に気が付いていれば、直接有賀さんにお聞きできたのだが、気が付いたのは帰宅後。でも、時が経つにつれて、これはなんだかとてもとても大切なことのように思えてきた。

なので、思い切って有賀さんに直接メールしてみたんですよ。
ありがたいことに、有賀さんからの返事はすぐに来た。今、僕は胸の支えがとれたような気持ちなんだけど、もしかしたら他にも同じようなことを思っている人がいるかもしれないし、有賀さんの話はファンにとって大事なことが示唆されてるようにも思ったので、ちょっとその内容を紹介してみたいと思う。

まず、有賀さんもこの2007年の2ショットはとても重要だとおっしゃっていた。なぜなら、この1枚が有るかないかで、写真集と展覧会が、懐かしいね、で終わるかそうでないかの大きな差がでるからである。
そして、写真展では、エンド・エピソードからストーリーが始まる映画のようなイメージを、写真集では小説のような流れを意識してこういう構成にしたということであった。また、写真集ではNo.121の『covers』レコーディング時における清志郎とCHABOの2ショットと近いページにあえて2007年の2ショットを置くことで、ある意味悲しい時の流れも表現したかったとのことであった。

僕は、特にこの最後の言葉が深く心に残ったんだ。もちろん、ただウェットなだけの本にしたかったわけではない、とも有賀さんはおっしゃっていたのだが、忌野清志郎という日本ロック界における巨星が去ってしまった事実と悲しみを、有賀さんは真正面から受け止めてこのプロジェクトに携わっていたんだな、ということが痛いほど伝わってきた。

写真集を手に入れてから、僕は何度も何度もこの2ショットを見ている。そして、見るたびにいろんな感情が生まれるのを感じるのだ。
カメラを意識して止まっているCHABOに対し、まるで立ち止まらず何処かに行ってしまいそうな清志郎…。この写真の清志郎には、本当に不思議な雰囲気を感じる。その後の2人を知っているからこそ、そう見えるのかもしれないが、清志郎は、この写真を通して、僕らへの惜別の想いと後をCHABOに託しているようにも思えるのだ。

僕には、この写真は偶然生まれたものだとはどうしても思えない。80年代の輝ける時代に出会った有賀幹夫さんと清志郎、CHABO。その3人が、2007年のあの時点で出会うべくして出会った必然の邂逅だったのではないか。そして、こうして今、ファンの前に公開されることも必然だったのではないか…。

ふー。ため息ひとつ…。
一枚の写真が語りかけてくるたくさんのイメージに、その重さに、僕はただただ圧倒されている。

2010年5月 6日 (木)

『NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL』忌野清志郎+有賀幹夫写真展 / 渋谷・東急本店 7階 催物場

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結論。サイコーの写真展だ、これは!
予想を遥かに超えた130点にもおよぶ写真の数々には、忌野清志郎という稀代のロックンローラーの魅力があますところなく据えられていたと思う。

ステージでのビンビンにぶっ飛んだ清志郎にも、もちろんヤラれたんだけど、オレは「COVERS」レコーディング時のスナップに、ぐっときたなあ…。CHABOや泉谷との2ショットはもちろんなんだけど、清志郎と山口冨士夫が屈託なく笑い合ってるカットが何枚もあって、これはその後の2人を思うと、もうたまんないものがあった。
有賀さんの撮った「COVERS」の写真は、このアルバム本来の楽しさをも伝えていると思うんだ。「COVERS」って、発売禁止になった事件も重なって、リリース当時はその過激性ばかりがフューチャーされていたじゃない?でも、実際はバンド小僧が集まって放課後の音楽室で好きな曲を練習しているかのような、笑顔の絶えないレコーディングだったことが、有賀さんの写真からは、はっきりと伝わってくる。

実は、自分にとっての有賀幹夫さんって、RCサクセションよりむしろローリング・ストーンズを撮った写真家としての印象の方が強かった。
ストーンズの写真を撮る事が許されているのは、彼らが選んだ公式カメラマンのみ。有賀さんは厳しい条件をクリアし、日本人として初めてローリング・ストーンズのオフィシャル・フォトグラファーとなった人物なのだ。有賀さんの撮ったストーンズの写真がメディアに出始めたのは90年代の初めだったと思うけど、まるでバンドの一員になってステージから直接撮ったような生々しさに、オレは心底びっくりしたことを憶えている。

RCサクセションやローリング・ストーンズのライブを観たことがある人は、誰もが心の中に自分だけのベストシーンを残しているだろう。それはライブを観た人だけの宝物。オレも胸の奥にしまってある大切なシーンがいくつもあるんだけど、自分の場合、それは有賀さんの撮ったカットとびっくりするぐらい重なっているんだよね。それだけ有賀さんは、被写体となるミュージシャンのライブで一番引き立つ瞬間を知っているってことなんだろう。
ひとつ例を挙げると、いわゆる“引き”を使わないでバンドのメンバー全員が映り込むフレームワークが、有賀さんの作品にはしばしば出てくる。天を仰いでシャウトするボーカリストのバックに、メンバー全員が映り込んでいたりとかね…。これ、実はすごく難しいテクだと思うんですよ。どうやって撮ってるのか、オレ、未だにわかんねえ(苦笑)。
オレは少年の頃からローリング・ストーンズのフリークだったから、これまで数え切れないぐらいストーンズのライブ写真を見てきたけれど、ことリアルな質感という意味においては、有賀さんの写真以上のものに出会ったことがない。

そんな有賀さんが、忌野清志郎オンリーの写真展をやるというんだから、これは行くしかないでしょう!居ても立ってもいられなくなったオレは、初日の5月6日に急遽仕事をサボって行って来た。
いやもう、ほんと行って良かったと思う。素晴しい写真展だった。有賀さんからサインもいただいたし、B2Bツアーの時のストーンズ大阪公演の話なんかができたのは、ほんと幸せだったなあ…。

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この写真展、東京は開催時期が短いから行くのを躊躇している人もいるようだけど、清志郎のファンはもちろん、人物写真に興味のある人は絶対見ておいたほうがいいと思うよ。
展示のところどころに有賀さんのコメントがあるから、じっくり見ていると、あっという間に時間が経ってしまうけれど、これは清志郎と有賀さんの貴重なコラボレーションなんだから、できる限り時間をとって一つ一つの写真にじっくり向き合ってみたらいいと思う。

それと、はじめから写真集を購入しようと決めている人は、まず渋谷のタワーレコードに寄って、写真集を買ってから会場に行くのがオススメです。
オレはタワレコのまわし者じゃないけど(苦笑)、渋谷のタワレコは、限定特典としてポストカードや缶バッジを付けてくれるんですよ。おまけに写真展の入場券とサイン会の参加券までもらえるから、タダで写真展が観られ、有賀さんのサインまでゲットできちゃうわけ。そうとうオイシイでしょ、これ?(笑)

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おまけに、タワレコの1F奥では、「有賀幹夫写真展~アリガトロックンロール」っていうミニ写真展までやっている。こっちは清志郎だけじゃなく、ストーンズや山口冨士夫、ジョニー・サンダース、ジョー・ストラマー、ロニー・レイン、イエローモンキーなんかの写真が展示してあって、どれもロックファンならたまらない写真ばかりだ。清志郎がフジオちゃん&TEADROPSの面々と一緒に写ってる写真は必見です!
タワレコ~!おぬしやるなあ…。しょうがねえから、期間中また行ってやるぜ!(笑)

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