リクオ

2012年10月 6日 (土)

「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.3」MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)/2012年10月6日(土) 下北沢 CLUB Que

2012年10月6日(土) 下北沢 CLUB Que
"CLUB Que shimokitazawa 「新夜想曲第十八番・ウタゲアリキ」 No.18 anniversary"
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.3」
【出演】MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)
前¥3500 当¥4000(1ドリンク別オーダー) 開場18:30 開演19:00

うん、このバンドはいいかも!
実を言うと、僕は長い間リクオとウルフルケイスケとの組み合わせが、どうもしっくりしなかったのだ。二人の色が違っていて、特にリクオの良さが薄まっちゃうような気がして…。だけどこの夜のライブで、やっとなぜこの二人がバンドを組んだのかわかったような気がした。二人の気質は違っているようでよく似ているのだ。そして、お互いがお互いの長所を巧くシェアし合っているように思う。かくして、ともすれば鬱々としがちなリクオの楽曲には明るさが加わり、ウルフルケイスケの楽曲もR&R一本やりではなく、様々な陰影が付くようになった。

そのシェアぶりは、バンドという飛び道具を手に入れたおかげで、なおいっそう鮮やかになったと思う。他の二人、寺岡信芳と小宮山純平のリズム隊は、もう何年も一緒にやっているかのように息がぴったりだった。それに触発されたかのように、ケイヤンのギターはリクオと二人だけの時よりずっと手数が多くなっている。寺さんと何年も一緒にやっているリクオのハジケぶりはいわずもがなだ。たとえばCHABOの隣には早川岳晴のべースが欠かせないように、リクオにとってバンドで音を出す際には、今や寺さんの存在はなくてはならないものになっている。
客席から期せずして“完璧すぎるやん!”という声がかかったように、これはもうベテランバンドの領域に入っているぐらいの完成度だった。

それにしてもマジカル・チェイン・クラブ・バンド、楽曲がすごくいいなあ~。この日はリクオとウルフルケイスケそれぞれの定番曲と、10月25日発売のこのバンドの1stアルバムの曲が全曲演奏されたんだけど、この新曲たちがほんとに素晴らしくて強く印象に残った。
リクオが作った「不思議な人よ」なんてのは、ソロではなかなか出来なかったタイプの曲だと思う。この曲をはじめ、そのものずばりの「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」など、このアルバムには3.11後の世界観が色濃く出ているものがいくつかあるが、もし同じテーマをソロでリクオがやったなら、たぶんそれはもう少しシリアスな味の濃いものとなったのではないだろうか。へヴィーな現実をR&Rで吹き飛ばす。そうだよなあ、高校生の頃の鬱々とした時期、僕がR&Rに魅かれたのも、こんなポジティブなタッチにやられたからだったんだよなあ…。ふとそんな気持ちを思い出した。

とにかく、このバンドはこれからの転がり方が楽しみだ。もう、フェスなんかにもこれでガンガン出ればいいのに。陽気なビートで、不思議な人たちを笑い飛ばしてやってくれよ!

2012年9月 1日 (土)

「セツナグルーヴ2012」リクオ、ゲスト:高野寛、サポート:橋本歩(チェロ)/阿部美緒(ヴァイオリン) / 2012年9月1日(土)渋谷BYG

「セツナグルーヴ2012」
【出演】リクオ(歌&ピアノ) ゲスト:高野寛(歌&ギター) サポート:橋本歩(チェロ)/阿部美緒(ヴァイオリン)
前¥3500 当¥4000(ドリンク別)開場18:00 開演19:00

5月以来、久々に観るリクオのライブ。っていうか、リクオ自身、東京でのソロライブは結構久々なはずだ。今年の前半はイベントとMAGICAL CHAIN CLUB BANDでの活動が多かったリクオ。久々にホームのBYGに帰ってくるんだから、当然この夜は今年前半の活動で得たものを色濃く反映したライブになるだろう。プラス、これも久々のストリングス隊との共演に、高野寛との東京初共演というおまけ付き。これは見所満載だぞと、僕はだいぶ前からこの夜を楽しみにしていたのだ。

期待どおり。いや、期待以上と言っていいだろう。いつものようにグル―ビーなピアノでお客さんを楽しませ、軽快なトークで観客の笑いをとる場面もあったけど、この日のリクオはいつもよりちょっとシリアスなタッチ。MCはいつもより少なめで、セットリストも歌の中に籠められた思いにじっくり耳を傾けたくなるようなものを中心に組まれていたように思う。
新曲もたくさん演奏された。それらの中には、これまでの彼の曲とはちょっと毛色の異なるものもあったように思う。そういった曲をこれまでのレパートリーの中に置く時、どういうふうに配置していけば自然に聞こえるかというようなことにも、リクオはこの日果敢にトライしていたのではないだろうか?

それを特に感じたのは1部後半だ。僕は間違いなく1部のハイライトは「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」だったと思っているのだが、そこに持っていくまで、リクオは「同じ月を見ている」と「はかめき」というポエトリー・リーディングを2つ畳み掛けたのだ。リクオのレパートリーの中でも、歌詞をじっくりときかせるタイプの2曲で観客の心をつかみ、MCで「じゃあ、最近作った“別れの歌”を歌います」と言って、「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」を歌った流れは見事という他ない。
この曲、僕もナマで聴くのは初めてだったんだけど、これまでのリクオの文脈からして、ある意味最も“らしくない”歌だ。良い悪いではなく、これまで歌ってきたリクオの歌と明らかに異質。歌詞に「原子力発電所」という言葉が出てくるたび、なんだか居心地の悪い気持ちになってしまうことは否定できない。だが、聴いているうちに、これは原発事故への直接の批判や怒りを表現したものではないということに気が付いた。これは、リクオが言うように原子力発電所との“別れ”をモチーフに、僕ら自身のこれまでの生き方を変えていこうとする出発の歌でもあるんじゃないかと思ったのである。そして、それは2部の最後の方に歌われた新曲「永遠のDOWNTOWN BOY」にも共通するテーマなんじゃないかと僕は思った。
リクオの曲には、これまでもラブソングの形態を借りながら、そこに彼なりの時代感を色濃く感じさせたような歌があった。この日唄われた新曲には、そういった色をいっそう強く感じた。現状への疑問ややり切れなさは歌っているけど、決して声高に怒っているわけではない。もしかしたら、リクオの歌は全てラブソングなのかもしれないとすら思う。それでも、そこには彼の時代に対する意識が“きちんと”織り込んであるのが素晴らしいと思うし、やっぱりリクオは誠実な表現者だと思う。次々に歌われた新曲を聴いていて、僕はリクオに70年代のシンガー・ソング・ライターの影を見た。

期待の高野寛との共演は2部から。リクオと高野寛は大阪のイベントで一度共演しているらしいが、東京では初めて。ただ、同い年ということもあって、お互い昔から気にはなっていたようで、高野は1部からずーっと会場の隅でリクオの演奏を見ていた。
高野寛は、アコギを抱えての弾き語りスタイル。「虹の都へ」や「夢の中で会えるでしょう」など、僕でも知ってる代表曲を惜しげもなく披露してくれた。
実は、僕は高野寛の歌ってこれまではちょっとスピリチュアルな匂いを感じてあまり好きじゃなかったんだけど、ライブを見て随分印象が変わった。とても凝った曲調なんだけど、決して難しくなく聞こえてくる不思議な歌の数々。改めて職人気質のミュージシャンなんだなあ~という印象を強く持った。
高野寛のパートで特に強く印象に残った曲は、タイトルを失念してしまったんだけど、「90年代後半から2000年初めにかけて、スカパラの青木くんとか、どんととか、フィッシュマンズの佐藤くんとか、自分の親しかった人たちがどんどん亡くなってしまった時期があり、その時夜空を観ながら作った曲です」という曲紹介で唄われた歌。これ、リクオもピアノで演奏に参加していたんだけど、僕だけかもしれないが、曲調が大好きだったフィッシュマンズの「ナイトクルージング」を髣髴させるものでぐっときてしまった。うーん、夏の終わりのこの季節に、予想もしないところでこんなふうにフィッシュマンズの影と出会うと、やっぱり効くなあ…。

アンコールも含め、最後の最後は二人の共通項である、忌野清志郎のナンバー「デイ・ドリーム・ビリーバー」でエンディングとなった。
気が付いたら、休憩時間を抜かしても2時間半を超えた長いライブ。でも、内容が濃かったせいで少しも長く感じなかったなあ~。
これまでとは違う次元の歌を書き始めたリクオ。これからの展開がますます楽しみになった。もしかしたら、この夜は何かが終わって何かが始まるライブだったのかもしれない。

2012年7月 2日 (月)

あるミュージシャンの逡巡

このところ更新のなかったリクオのブログ、KIMAGURE DIARYが3か月ぶりに更新された。その内容は、主にできたばかりの新曲に関するものだったのだが、とても重く考えさせられる内容だった。

この曲はまだライブでしか公開されておらず、僕自身まだ未聴。タイトルは「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という…。
リクオがこういう曲を歌うのは、ある意味衝撃的なことなのだ。こういった直接的な物言いは、彼がこれまで作ってきた歌の流れからは明らかに異質。もともとリクオは社会的なメッセージを歌うミュージシャンではない。むしろ賛成・反対というような、物事を二択で割り切る考え方が歌に入り込むのを極力避けてきた。それが、ここにきて「脱原発」を明確にした新曲を作ったのだ。ブログを読むと、彼は首相官邸前での大飯原発再稼働に抗議するデモにも参加したらしい。これもある意味“らしくない”行動であり、ちょっとした驚きを感じずにはいられない。3.11から1年数か月あまり。彼の中で何かが変わったのだ。

ちょっと僕の話をする。僕は原発事故で自分の故郷を汚された。両親や古い友だちは、いまだにあの町で不安を抱えながら暮らしている。そんなバックボーンがあるから、僕は東京に住む周りの人たちよりも、少しばかり原発に関する嫌悪感が強いことを自覚している。もし、あんなものが故郷になかったら、僕は今年の夏も子供たちを連れて父や母のもとに帰省することができただろう。友人たちは将来の不安に怯えながら子育てをしなくてもよかったはず。そう思うと何ともやり切れない気持ちになるし、野田さんの原発再稼働を表明する記者会見には怒りを覚えずにはいられない。

だが、いわゆる脱原発派と呼ばれる人たちの行動にも、どこか違和感を感じる自分がいる。たとえば、脱原発を唱えるデモに、僕は一度も参加したことがない。主張自体に異議はないが、デモという方法にはどうしても馴染めないものを感じてしまう。僕の知るデモは、何万人もの人間が同じスローガンをコールするイメージだ。デモに限らず、そういう集団行動が僕にはどうも苦手だ。
思い返せば、学生時代に母校の野球の応援に行った時にも、同級生がスタンドで肩を組んで校歌を大合唱しているのを見て思わず引いてしまった。倫理美化運動なんてのも大嫌いだったなあ。本当に町を綺麗にしたいと思うなら、一人ひとりが日ごろからゴミを拾って歩けばいいだけの話なのに、なぜわざわざ日にちを決めてイベントみたいことをしなければならないのか…。そういうワクを作らないと行動できないってのは、どっか違うような気がする。今だって、ライブで観客が一斉にコブシを振り上げたりするのは大嫌いだ。自然とそうなるならいいが、それぞれがそれぞれの楽しみ方をするのがライブなのに、何がわざわざ決まり事を作って皆で同じことをしなければならないんだろう?

要するに、僕は自分が何かの派閥や集団に属したり、ああいう奴だとレッテルを貼られるのがたまらなく嫌なのだ。失礼なことを言うようだけど、そういうのが好きな人は、集団に属すること自体で満足感を味わえる人種なんだと思っていた。青臭いことを言うようだけど、ロックな精神ってのは「自立」とか「個」とイコール。そこに集団行動はどうにもそぐわない。単なるひねくれ者の意見かもしれないが、僕はそう思っていたのだ。

だが、3.11以降、そんなひねくれ者の居場所はだんだん無くなってきた。世論は人を原発推進か脱原発かの二色に分けたがり、脱原発を唱える人の中にも、沈黙は罪だ、今は何らかの形で行動しなければ意味がないというようなことを言う人が出始めた。そこには、福島にたくさんの知人がいるというのに、彼らに対して“福島を出ろ”とはどうしても言えないでいる僕を責めた知人の声と同質の圧力を感じる。彼らは正義なのだ。正論を述べているのだ。だけど、それを強要するのは、ある種の傲慢さと紙一重だと僕は思う。彼らに悪気がないことはわかるが、悪気がないだけに、よけい隔たりの大きさを感じてしまう。3.11以降、そんな場面に接するたびに僕は疎外感を感じていた。

正直に言う。僕にとっては大飯原発再稼働よりも、傷付いた故郷の今の方がずっと切実な問題なのだ。2つの問題が根っこで繋がってるのはわかるけど、大飯原発再稼働反対を唱えるデモに参加する時間があるぐらいなら福島に帰って年老いた両親や旧友の傍に寄り添いたい。それが僕の偽らざる気持ちだ。僕はそんな自分の感情に正直に行動したい。
ただ、今は好きとか嫌いとか、そんなことを言っている段階ではないのかもしれないとも思い始めている。福島出身者である前に、日本に生きる一市民として、原発に依存しない社会を創るため、好む好まざるにかかわらず、何らかの行動をとらなければならない時期に来たのかもしれない…。そんな思いもあるのだ。

そんなときに目にしたのがリクオのブログだった。
3.11から1年数か月あまりの時間をかけ、リクオは「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」に辿り着いた。それは、同じ反原発をテーマにした歌であっても、忌野清志郎や斉藤和義のそれとは明らかに違った逡巡を経て生み出されたものだ。ブログを読めばわかるように、彼は3.11以降、悩み、苦しみ、傷付きながら歌を歌い続けてきた。その道程は、もちろん僕とは違うものだけれど、3.11以降、新しい生き方を探し、もがき続けてきた部分にある種のシンパシーを感じずにはいられなかった。

リクオは言う。悶々としながら問いかけを続けてゆく作業を止めてはいけないと。そして、デモや集会は2項対立を深める要素を持っており、時として何かを損なう可能性を内包していることを知りつつも、時間が許せばまた参加したいと。ここに至るまで、リクオは相当の逡巡を経たに違いない。そして、最終的に彼は、日記にもあるとおり「変わらない」ことよりも「変わる」ことを選択したのだ。

ならば、と僕も思った。リクオの言うように、変容しつつあるデモの形が、時代を変えようとするエネルギーの渦であるならば、その場に身を置いてみるのも悪くはないかな、と。ただ、フットワークは軽く、あくまでも自分の気持ちに正直であることを前提としてだ。無理はしない。時間があっても気分が乗らなかったら、参加は止めるし、居心地が悪かったらさっさと帰る。そのぐらいの気持ちでい続けたいと僕は思う。

3.11以降、僕は巨大な迷路の中に入り込んでしまった。そして、いまだに出口は見えずに彷徨い続けている。何が正しくて、何が間違っているのかなんて誰にもわからない。でも、安易に大きな集団に属してしまっても、自分を救うことはできないのだ。漂い、時には自分の正義を疑いながら生き続ける。不安の雲が消えることはないし、たぶんそれは一生消えないかもしれないが、3.11以降の新しい生き方は、そうやって見つけていくしかないのではないか。新曲の誕生に至るまでのリクオの道程は、そんなことを語っているように僕は思った。

2012年5月 8日 (火)

HOBO CONNECTION 2012 at 渋谷 / 2012年5月8日(火) 渋谷・CLUB QUATTRO

【HOBO CONNECTION 2012 at 渋谷】渋谷・CLUB QUATTRO
出演:リクオ/バンバンバザール/友部正人/山口洋(HEATWAVE)/三宅伸治/羊毛とおはな/朝倉真司(per.)/キヨサク(MONGOL800)
開場18:00 開演19:00

ホーボー・ミュージックっていう概念は、この日集まった音楽ファンの間では、もう完全に認識されたように思う。
この日、ステージに立ったのは、決してメジャーとは言い難い人達だったかもしれない。でも、メディアへの露出とかチャートの順位なんかとは関係なく、日本中を旅して各地の音楽ファンを楽しませているミュージシャンは大勢いる。この日集まったのは、そんな現場至上主義を貫いている人たちばかりだった。そもそも、いい音楽の前にはメジャーとかマイナーとかは関係ないのだ。ジャンルですら必要ない。あるのはただGOOD MUSICのみだ。それもとびきりぐっとくるヤツ…。
リクオは、そんな音楽を全部ひっくるめてホーボー・ミュージックと呼んだ。彼はそのキャリアを積むにつれ、自分もまた永遠に旅を続けるホーボーな音楽人であることを自覚するようになったのだろう。そして、ホーボー・コネクションというイベントをとおし、彼はそんなホーボー・ミュージシャンたちや、彼らの音楽を愛する人たちを自らが触媒となって繋ごうと考えたんだろうな。

僕は、このライブを見ていて、“円熟”なんてことをちょっと考えた。円熟なんて言葉はロック的じゃないし、もしかしたらリクオもあんまり心地好く思わないかもしれない。でも、僕はリクオを見ていて“いい歳のとり方をしているなあ~”なんてちょっと思ったのだ。
僕とリクオはほぼ同世代。お互い40代代半ばという年齢に差し掛かった。いくら若いつもりでいても、世間は誰もが僕らを中堅として見ている。僕らはもはや嫌でも中堅としての自分を考えないわけにはいかなくなった。僕とリクオでは就いている仕事は全然違う。けど、中堅としての自分をどう捉えていくか、自分の仕事を(纏めるわけじゃないけど)ある程度のキャリアを携えた者としてどう捉えていくか、なんてことを考えてしまうという点では同じだと思うのだ。上の世代と若者との間を繋ぐ。伝統と新しいものとの間を繋ぐ。自分の仕事と社会とを繋ぐ…。まだできることは小さいけど、若いときには考えることすらできなかったことが、なんとなく見え始めた。そんな意識があればこそ、リクオはミュージシャンとして人と人とを“繋ぐ”ことを始めたんじゃないかなあ~と僕は思ったのだ。

このイベントでリクオはまず過去と未来を繋いだ。
この日はホーボー・ミュージックをやり続けてきた偉大な先人として友部正人が登場。そして、友部さんからバトンを受け取ったリクオ世代のミュージシャンからは、バンバンバザール、山口洋、三宅伸治、朝倉真司が、これからバトンを渡す世代として、羊毛とおはな、キヨサクが出た。

このイベントの素敵なところは、それぞれの出演者が自分たちだけでプレイするだけじゃなく、他のミュージシャンとセッションする場面が必ず用意されていたことだと思う。彼らがただ同じ場を共有するだけでも意味はあると思うけど、お互いに音を交えることでその繋がりはより明確になる。
客席で見ていた僕にとっても、たとえば羊毛とおはなやキヨサクは初見の人たちだけど、まぎれもなくホーボー・ミュージックの系譜に属する人たちなんだってことがはっきりとわかった。
キヨサクはレゲエタッチで歌った、サッチモの「What a Wonderful World」が素晴らしかったなあ~。なんつうか、その根付きぶりに圧倒されてしまった。キヨサク、もしかしたら君の身体にはジャマイカの血が流れてるんじゃないのか?(笑)。そのぐらい根付いていたのだ、彼は。僕ら世代だとここまでレゲエが染み込んでいる人はなかなかいない。そういった意味では、彼は新しい世代のホーボー・ミュージシャンなのだと思う。

もう一つ、リクオはこっちの世界とあっちの世界も繋いだ。
三宅伸ちゃんの歌には、今はいなくなってしまったあの人の影が常に寄り添っている。彼はこの悲しみを一生引き受けていくことを覚悟しているのだろう。この日演奏された「生きよう」にはぐっときた。清志郎がいなくなって、3.11を経験した僕は、心の何処かで“生かされてしまった”という感覚を持ってしまっている。それでも僕らは生きなければならないのだ。自分だけじゃなく、誰かのためにも…。そんなことを思った。この曲を絶対一緒にやりたいと言ってステージに上がった山口洋の心意気にもぐっときた。
リクオとは「胸が痛いよ」での共演もあった。この日のリクオのボーカルはいつも以上にエモーショナルだったと思う。伸ちゃんの泣きのギターに煽られてかなり感情が昂ぶったのかも。思えば、先月の下北沢ではギターパンダとこの曲をやったっけ…。今はいない人への近しかった人ならではの鎮魂…。でも、主がいなくても歌は生き続けるのだ。
バンバンバザールの歌には高田渡さんの影があるし、この日は西岡恭蔵さんも遊びに来ていたような気がする。こうやって、時空を超えて音楽は鳴り続けるのだ。

友部正人さんの存在感は素晴らしかった。なんと美しい一徹ぶりだろう…。僕にとって、友部さんを見るのは久しぶりなんだけど、あの声は本当に唯一無二だなあ…。あの声だけですぅーっと胸に音楽が降りてくる。なんか、友部さんの歌を聴いてると、僕は童話を読んでいるような気持ちになってしまうのだ。何度も共演している三宅伸ちゃんとの「はじめ僕は独りだった」、リクオとの共作「カルバドスの林檎」には、まるで宮沢賢治のようなロマンを感じる。
そして、嬉しくなってしまうのは、友部さんが未だいい意味での“軽さ”を持ち続けていること。飛び跳ねながら「たたえる歌」を歌う友部さんの姿は、冗談抜きに伸ちゃんやリクオより若々しく見えたぐらい。こんなふうに歳を経られたらいいなあ、なんて僕は思う。友部さん、いまだにフルマラソン走ってて、僕より全然速いんだからねえ…(苦笑)。

最後の最後、全員で歌われた友部さんバージョンの「アイ・シャル・ビー・リリースト」の美しさったらなかった。観客も自然と歌詞を口ずさみ、素晴らしい雰囲気の中で幕を閉じた3時間半。
平日の7時から渋谷でライブってのは、なかなか勤め人には厳しい時間帯だけど、それだけにこの日クアトロに集まったのは、本当に音楽が大好きな大人ばかりだったはず。そんな人たちも、一人残らず満足できた夜だったんじゃないかなあ…。

2012年4月13日 (金)

HOBO CONNECTION 2012 at 下北沢 出演:MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)、ギターパンダ、藤井一彦、キム ウリョン / 2012年4月13日(金)下北沢 440

【HOBO CONNECTION 2012 at 下北沢】2012年4月13日(金)下北沢 440(four forty)
出演:MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)/ギターパンダ/藤井一彦(THE GROOVERS)/キム ウリョン(元cutman-bouche)
前売 ¥4000 当日 ¥4500 (2オーダー1000円別)
開場18:30 開演19:30


えーと、このライブ、僕の一番のお目当てはリクオの新バンド、MAGICAL CHAIN CLUB BANDだったんだけど、まずはゲストのギターパンダのことから書かせてほしい。
ギターパンダの正体は、あの山川のりを氏だ。RCファンには、忌野清志郎&2・3'Sのギタリストだった人といえば話が早いと思う。この人がパンダの着ぐるみで変身したのがギターパンダ(笑)。僕は2年前のHOBO CONNECTIONでライブ体験済みで、その時はパンダがギターを弾く!という強烈な光景に大笑いした。で、今日も“こうくる”っていうのはわかってたんだけど、それでもどっかんどっかん笑ってしまったぜよ(笑)。
でも、笑うと同時に飛び切りのR&Rでぶっ飛ばされ、ぐっとくるバラードでじーんときてしまったりした。ギターパンダ、すげえロックだと思う!この日はロックンロール・パンダーランドに身も心もヤラれてしまったのだ。
ほんと、この人、パフォーマーとしてすごいと思う。とぼけたMCに笑わせられたと思いきや、間髪入れずに極上のR&Rでノリノリにさせられ、今度は一転してバラードで泣かされなったり。で、うっかり感動してると(笑)、またまたMCの面白さに涙が出そうになったり…。いやあ~忙しいライブだった(笑)。
ギターパンダ、凄い!ほんとに凄い。ワタクシ、完全にヤラれました。いろんな人のライブを見てますが、これほど気持ちがくるくる動いたライブは初めてかもしれない。

ギターパンダは、登場してきたときからお客さんの気持ち鷲づかみだった。キム ウリョンを介添人にして、着ぐるみ姿でステージをよちよち歩くだけで客席はもう大笑い。お約束の“イェ~!”“いやいやいやいや、こちらこそイェ~!”っていうお約束のコール&レスポンスもたまらない(笑)。で、いざギターを弾きだすと、それは飛び切りゴキゲンなR&Rだったりするわけ。このギャップがたまらなくカッコいい!この日は、ギターパンダのバックをMAGICAL CHAIN CLUB BANDが務めるスタイルだったんだけど、ウルフルケイスケとのギター2本の共演は見物だった。

そして、着ぐるみから脱皮して歌われたある曲に、僕は涙が出るほど感動させられてしまったのだ。それは、無人島への漂流を企てた友人のことを歌ったものだったんだけど、ギターパンダの切々としたボーカルに激しく感動してしまった。こんなに心動かされる歌に出会ったのは何年ぶりだろう…。ちょっと呆然としてしまうぐらい凄い歌に出会ってしまった。

どんよりした曇り空でも Don't Worry
オレのメッセージお前に届いたかな

僕は、ライブが終わった後もこの歌のフレーズがずっと頭を離れなかった。調べてみたら、これは山川のりを作ではなく、The endという無名のシンガーソングライターの作った「引き潮」という曲であることがわかった。山川のりをがこの曲と出会ったいきさつはわからないけど、この曲にこめられた切ない想いが彼のハートをノックしたってことなんだろう。うーん、歌ってこうやって引き継がれていくんだなあ…。
ギターパンダのステージは30分くらいかな。リクオがボーカルをとって、忌野清志郎作の「胸が痛いよ」のギターを弾くシーンなんかもあり、すごく内容の濃いライブだった。

あまりにインパクト大だったから、ギターパンダのことから書き始めちゃったけど、お目当てのMAGICAL CHAIN CLUB BANDも、もちろんとても良かった。
これはリクオが今年になって作った新しいバンドだ。去年、ウルフルケイスケとツアーに出たのをきっかけに生まれたものらしい。3.11直後の鬱々とした空気の中、リクオはケイスケの明るいキャラに助けられたとブログに綴っていたけど、ほんとにその通りの音を出してるなあ~と僕は思った。
実は、僕はその片鱗を昨年12月の渋谷BYGでのリクオライブでもなんとなく感じていた。あの夜は、弾き語りだったにもかかわらず、何曲かに明らかにバンドのニュアンスを感じたのだ。これは早くバンド見なきゃなあと思っていたのだが、なかなかタイミングが合わず、やっと巡ってきたのがこのライブだったのである。

MAGICAL CHAIN CLUB BANDは、単独での演奏以外にゲストを迎えた時もハウスバンドをやっていたから、ライブ中はずっと出ずっぱりだった。
バンド単独でのレパートリーは、リクオとケイスケそれぞれの持ち歌に加え、新曲もいくつかやった。これがいい曲ばっかりなんだよなあ…。これはリクオとケイスケが一緒に作ってるんだろうか?なんか、これまでのリクオの歌とは違った突き抜け具合を感じるんだけど…。
それにしても、バンドは結成されたばかりとはとても思えないフィット感。まあ、ケイスケと寺さんはリクオと何度も一緒にやってるから、呼吸が合うのは当然といえば当然なんだけど、若い小宮山純平がすんなり溶け込んでいるのには驚いてしまった。この人、僕は初めて見たんだけど、すごくセンスを感じるドラマーだと思う。R&R系からラグタイム風のやつまで何でもござれ。寺さんとのコンビネーションもバッチリで、こんな良いリズム隊がいると、リクオもケイスケも楽しくてしょうがないだろう。

このバンド、見る前にはロックンロールっぽい曲ばかりで押しまくるのかと思っていたのだが、そんなことはなく、ソウルっぽいのやレゲエ、ラグタイム調のものまでかなりレパートリーは広い。これはリクオのHOBO CONNECTIONというコンセプトによくあっていると思う。リクオがHOBO CONNECTIONと銘打ったライブに集まったミュージシャンは、R&R系の人から弾き語りを得意とする人、ジャグバンドまで凄く幅広い。それをすべて“HOBO”という概念でまとめたのがHOBO CONNECTIONだけど、このバンドだったらそのすべてに対応できるだろう。

何より、明るく陽気なトーンがイイよ、このバンドは。これはやっぱしウルフルケイスケの存在が大きい。ほんと、この人ほど楽しそうにギターを弾く人もそうそういないと思う(笑)。使うのはテレキャスター一本っていう潔さもカッコ良し。難しいことは考えず、テレキャスらしい明るいトーンを活かしてのびのびとプレイ。それがステージで見せる笑顔と合っていて、見ているほうも思わずニコニコしてしまうのですね。うん、得なキャラだ(笑)。
リクオの持ち歌も、イントロのメロがケイスケのギターになるだけで全然印象が違ってくる。これが聞いてて本当に楽しい。何よりも、メンバーとのやり取りをリクオ自身も楽しんでる風なのがイイ。まるでバンド小僧に戻ったかのようで、ソロにはないしなやかさを感じた。

他のゲストのことも書かなきゃ。
一人目の共演者・キム ウリョンは、まだ若いがとても魅力的な声を持ったシンガー。彼がボーカルをとったKnockin' On Heaven's Doorは聴きものだった。これはレゲエ風のアレンジだったんだけど、リクオのピアニカが素敵だった。オレ、もしかするとリクオがピアニカを弾くのを見るのはこれが初めてかも。エコーをかけてダブ風の音響にしてあり、なんか440がトロピカルなコテージになったような気持ちになった。気持ちよかったなあ…。

藤井一彦のプレイもキレキレ。この人のギターは昔から大好きだ。のっけからグレッチを手に、得意のザクザクカッティングを頻繁に織り交ぜたソロでMAGICAL CHAIN CLUB BANDと絡むのは見応えがあった。それと、この人はR&Rだけじゃなくてバラードに付けるギターが絶品だ。トム・ウェイツのアルバム「レインドッグス」で、キース・リチャーズが参加してるのが何曲かあるでしょう?一彦のギターはあれを髣髴させる。渋くて枯れててカントリーっぽくて…。うーん、ホーボーやなあ(笑)

アンコールでは全出演者がでてきて2曲演奏。1曲目はケイスケの持ち歌、っていうかチャック・ベリーのカバーで「スウィート・リトル・ロックンローラー」。何しろギターが3本もいるし、加えて火の玉ピアノマンまでいるからね。すごいノリノリだった。一彦のグレッチとケイスケのテレキャスが交互にソロを交換し合うのも楽しくて楽しくて。なーんかフェイセズみたいだったなあ(笑)。
最後は「いいことばかりはありゃしない」を全員でやった。これは予想だにしてなかっただけに、無茶苦茶ぐっときた。リクオ、やるなあ~。こうきましたか…。

あっという間の3時間。すごく楽しかったし、お腹一杯になった。
なんだか、MAGICAL CHAIN CLUB BANDはいろんな人との絡みを見たくなるバンドだ。HOBO CONNECTION、vol.2とか言わず、リクオにはもうずーっとやってほしいぐらいだ…。

2012年3月25日 (日)

【HOBO CONNECTION 2012 at下北沢】 / 3月25日(日)下北沢ラ.カーニャ

【HOBO CONNECTION 2012 at下北沢】
3月25日(日)下北沢ラ.カーニャ
出演:リクオ/福島康之(バンバンバザール)/六角精児/広沢タダシ/三代目魚武濱田成夫
開場18:30 開演19:00

HOBO CONNECTION 2012は、2010年に行われたイベント「Hobo Connection」の第2弾だ。Hobo Connectionはリクオのデビュー20周年を記念し、大阪、東京、福岡、名古屋で37人のミュージシャンとコラボ演奏を行うものだったのだが、これが今年CD+DVDでリリースされることになった。それに併せてHOBO CONNECTIONの2012年版が行われることになったのだ。
この日はその2日目。7時ちょっとすぎに始まったライブは、終わったのが10時半近く。間の休憩時間を抜いてもたっぷり3時間。でも、まったく飽きなかったなあ…。居心地のいいラ.カーニャの空気に包まれ、いい音楽をお腹いっぱい味わった満足感で身も心もいっぱいになった。

この日、リクオと共演したホーボー・ミュージシャンは、アナウンスされていた4人に加え、バンバンバザールのベース・黒川修、チェロの橋本修が飛び入り。ステージには上がらなかったけど、客席にはウルフルケイスケの姿もあった。出演者には、これまで僕がライブ体験した人もそうでない人もいたけれど、ライブを楽しむのにそんなことは関係なかった。日本における“ホーボー・ミュージック”の数々を、まるで組曲みたいに楽しめた夜だった。

三代目魚武濱田成夫を観るのは何度目だろう?MCで“朗読する時は朗読だけ。歌う時は唄うだけ”って言ってたけど、今日の彼は完全に歌モード。リクオの持ち歌「グレイハウンドバス」にはじまり、まるでトム・ウエイツみたいなダミ声を聞かせてくれた。オレ、この人に対しては、見方が以前とはだいぶ変わったなあ…。はっきり言って、前は彼のやってることがまったくわかんなかった(苦笑)。でも、今ならわかるぞ。彼の吐くコトバの裏にあるぶっきらぼうな優しさが…。この夜は、リクオのピアノにのって叫ぶように唄う彼の真っ直ぐさに、なんだかじーんとしてしまった。

広沢タダシはたぶん初見。すごく素敵なシンガーソングライターだ。ギターの弾き語りスタイルだとフォーク系かと思いきや、ちょっとブラジリアンなテイストでとてもリズミック。色彩感のあるギタリストだなあ…。

六角精児は驚き。この人、「相棒」の鑑識係をやってる例の俳優さんだ。なんでも、高校時代からラ.カーニャに通いつめていた音楽少年だったそうな。緊張気味だったというけれど、歌声を聴いてびっくり。高田渡の声・唄い方にそっくりだ!六角さん、そうとう渡さんを聴き込んだんだろうなあ…。

バンバンバザールの2人はさすが。自分たちの曲をやる時も、共演者のバックに入る時も、ほんとうにこれ以上ないぐらい歌に寄り添った演奏を聞かせてくれる。この夜の「君とコーヒー」は素敵だった。間奏で「梅田からナンバまで」をはじめとする先輩たちの名曲を散りばめ、さりげなく自分たちの立っている場所を教えてくれる。巧い!
それから、思いがけなくCHABOのカバー「ティーンエイジャー」がはじまった時はぐっときてしまった。まさか今夜これが聞けるとは…。しかも今日はリクオのピアノ付きだ。こういうのに46の男は弱いのだ…(苦笑)。

橋本歩ちゃんも相変わらず。バンバンと一緒の演奏では、まるでラグタイム・バンドでのフィドル奏者のようだった。実は彼女、ライブ前からリクオたちと客席にいたんだけど、大きな黒ぶちメガネをかけてたんで(コンタクトレンズを忘れたって言ってた(笑))、最初は全然彼女だとは気がつかなかったんだ。

この日のイベントにはたくさんの出演者がいたけれど、最初に書いたとおり、演奏された曲を誰が歌ったとか、自分がその人のファンかどうかなんてまったく関係なく楽しめるものだった。
早くから会場を待っていた人の話では、だいぶ長くリハーサルをやっていたというが、たぶんリクオと各出演者との間では、そんなに綿密な打ち合わせはなかったんじゃないのかなあ?百戦錬磨のつわものばかりのステージでは、細かい決まりごとや事前の段取りがないほうが、かえってのびのびふるまえるものなのかもしれない。加えて数々のミュージシャンが出演したラ.カーニャのなんともいえない居心地のよさ。そういったものがすべてに良い方向に向いていたと思う。ミュージシャン・観客が一体となり、最高に居心地のいいライブ空間が作り出されていた。
こんな場に身を置いているとつくづく思う。音楽はジャンルじゃないと…。結局は人なんだよな。その人らしさ、その人の持つ人間臭さがにじみ出た音楽に僕らは惹かれるんだと思う。

そして、リクオというミュージシャンには、そういう人たちを惹きつける魅力が確かにある。最近のリクオを見ていてつくづく思うのは、いい意味での円熟ぶりだ。もしかしたら、ミュージシャンにとっては、“円熟”という言葉を使われるのはあまり嬉しくないのかもしれないけど、今のリクオには、やっぱり円熟というコトバを使いたくなってしまうのだ。
HOBO CONNECTIONにあたって、リクオはキャリアを積み重ねる中で自分に求められるものが少しずつ変化してきているのを感じていると言っていた。そして、イベントの中での自分は「橋渡し」あるいは「媒体」としての役割を意識しているとも…。これは最近のリクオのライブを見ていて、僕自身もなんとなく感じていたことだった。もともとリクオは他者との共演が多いミュージシャンではあるのだが、以前のそれとは明らかに違うスタンスがHobo Connectionや最近の「海さくら」なんかからは感じられる。
ひと言で言っちゃうと、今のリクオがやっているコラボは“単なる共演”ではないのだ。その場にいない人たちの歌まで聞こえてきて、僕たちのはるかな旅路が浮き上がってくるライブ。この夜、僕たちは西岡恭蔵、高田渡、友部正人、有山じゅんじ、下田逸郎たちの姿を見た。リクオ自身がホーボー・ミュージシャンと呼ぶ人たちの系譜だ。僕らの生まれるずっと前から歌われてきたホーボー・ミュージックの道程に自分もいるということを、彼は誰よりも深く強く自覚しているんだと思う。

2011年12月11日 (日)

リクオ&ピアノ~完全弾き語りソロ・ライブ~ / 2011年12月11日(日) 渋谷BYG

リクオのソロライブは、東京では久々だ。今年は海さくらウルフルケイスケとのツアーなど、共演者がいるステージでリクオを観る機会が多かったが、そこでは比較的アッパーなナンバーが多く唄われていた感がある。リクオ自身、3.11以降、気持ちが沈む日が続く中でウルフルケイスケとツアーに出てあえて陽気なナンバーを演奏したことは、精神衛生上とても良かったと語っていた。
それは僕にも良くわかる。わかるのだが、リスナーの立場として言わせてもらえるなら、これらのライブでは彼の持つ内省的な部分をあえて出さないようなタッチになっていたことに少し物足りなさを覚えもした。久々のソロである今夜は、きっとそんな歌も聴くことができるだろう。深い夜に自分の心の奥にゆっくりと降りていくような歌を聴きたい…。僕はそんな気持ちでライブに臨んでいた。

リクオは僕の気持ちに十分すぎるぐらい十分に応えてくれた。もちろん、いつものようにアッパーなナンバーも演奏されはしたのだが、僕が強く印象に残ったのはやはり内省的な歌。BYGのこじんまりとした空間で、リクオのピアノと歌声にじっと耳を澄ますのは、心が洗われていくような音楽体験だった。本当にとても濃密なライブだった。3.11以降、世の中の雰囲気が一変してしまった中でも、淡々と旅を続けて歌を唄い続けてきたリクオの、この一年の想いが集約されたような夜だったと思う。

この日のライブで特筆すべきこととして、新曲が数多く演奏されたことが挙げられる。それらは震災や原発事故のことを直接唄いこんだものではないが、僕にはやはり3.11以降のリクオの心境が色濃く反映されているように思えてならない。
リクオの歌の数々を聴いてるうちに気が付いたことがある。彼は突然襲ってきた震災や原発事故を憂いているのはもちろんだが、同時に3.11以降の社会に漂うある種の空気にも違和感も抱いているのだと…。
なんて言ったらいいのか、うまく言葉が見つからないのだが、たとえば、今誰かと原発についてシリアスな話をするとしたら、その前提として相手が原発推進なのか反原発なのかを最初から決め付けるような傾向があると思う。そして、互いが互いを拒絶し、大きな声を挙げがちになる。あんな事故が起きたらそうなって当然なのかもしれない。でも、こんな風にはっきりと何かに線引きをしたがる社会は、僕らがかつて暮らしていた“あの頃”の空気と、少しずつ何かが違ってきているのではないか。リクオはそんなことを感じているんだと思う。

最近、僕も時々思うのだ。あなたは原発に賛成ですか?反対ですか?と聞かれたら、僕ははっきり“反対です”と応える。それは間違いない。だが同時に、反原発を声高に主張し、推進派とされる人物や企業をまるで悪魔のように罵る風潮にはある種の怖さも感じてしまうのだ。共感できる部分ももちろんある。だが、心の底に微かに、でも確実にある種の違和感が芽生えもする。そんな微妙な2011年の風に吹かれる僕らの気持ちを、リクオはきちんと歌にして差し出してきたのだった。
「全部ウソだった」を唄った斉藤和義は誠実な表現者だと思う。それとは違う表現ではあるが、リクオの新曲にも、僕は表現者としての真摯さを強く感じる。

ウルフルケイスケと全国を回ったツアーの千秋楽は、ベースの寺岡信芳とドラムの小宮山純平が加わりバンドスタイルで行なわれたそうだ。ギンギンのエレキギターが入った、いわゆるロックバンドスタイルでプレイするのは、リクオのとっても久しぶりだったらしい。初心に戻ったような気持ちになったと彼は語っていた。
それを象徴するものとして、この日演奏された新曲で、まるでハイロウズのようなタッチのロックンロールがあった。明らかにウルフルケイスケとのツアーがなければ生まれ得なかった曲。リクオはピアノを叩くように弾き、まるでヒロトのようにシャウト。僕は、この日演奏された数多くの曲の中で、この曲が一番印象に残った。
実は、僕はウルフルケイスケとのツアーは一度しか見ていない。このツアーのセットリストはケイスケの明るいキャラクターを活かしたものが多く、楽しい事は楽しいのだが、僕にとっては冒頭に書いたような物足りなさもあり、1回見とけばそれでいいかな、ぐらいの気持ちでいたのだ。だが、この曲を聴いて千秋楽を観なかった事を、今ちょっと後悔している。
この日演奏された新曲の中には、これ以外にもバンドの音が聴こえてくるようなものがいくつもあった。やっぱり、あのツアーはリクオにとって重要だったのだ。彼は、あのツアーでこれまでにはなかった新しいモードを手に入れたのだと思う。

この夜、アンコールは長かった。
これは僕の予想だけど、最初の予定では、リクオはケイスケと共作したという新曲で締めるつもりだったのではないだろうか?だが、リクオはなかなかピアノから立ち上がろうとしなかった。僕らもまた会場を去り難い想いにとらわれていた。そういう雰囲気になったのだ、自然と。そこから唄われた数曲は、ほんとうにこの夜だけのものだったと思う。下田逸郎のカバー「セクシー」が歌われた。反戦の思いを込めて書かれたことばをヒントにして作ったという(そんなことは、僕は夢にも思わなかった)「美しい暮らし」が歌われた。一つひとつが珠玉の輝きを放つ、本当の意味でのアンコール。東京のホームと公言して止まないBYGでの、今年最後のソロステージという空間が生み出した奇跡だったんじゃないかな、あれは。

2011年9月10日 (土)

UMISAKURA MUSIC FESTIVAL 2011 FINAL「UNITE!」 / 2011年9月10日(土) 江の島展望灯台サンセットテラス

2011年9月10日(土) UMISAKURA MUSIC FESTIVAL 2011 FINAL「UNITE!」   
【場 所】江の島展望灯台サンセットテラス
【出演者】朝倉真司・寺岡信芳・石嶺聡子・伊東ミキオ・上中丈弥(THEイナズマ戦隊)・梅津和時・ウルフルケイスケ・中川敬(ソウルフラワー・ユニオン)・BanBanBazar・三宅伸治・山口洋(HEAT WAVE)・リクオ
【時間】開場13:00/開演13:30

「海さくら」は江ノ島灯台の麓にある展望デッキで行われる音楽フェス。ローカルなイベントだし、フェスとはいってもその規模はとても小さい。でも、僕にとっては、これに行かないと夏の終わりを迎えられないぐらいに大事なイベントなのだ。なんと言っても、このフェスはロケーションが抜群に素晴らしい。周囲360℃をぐるりと海に囲まれ、潮風に肌をさらしながら音楽を楽しむ。靴なんか脱いじゃって、裸足でウッドデッキに座り込んじゃう。手には冷えたビールと地元の美味しいフード。これだけでもう最高でしょう?手作り感満載の部分もあるのだが、そこがまたいいのだ。

リクオはこのイベントの音楽プロデューサーという役を担っている。出演者もリクオと何らかのつながりのある人が多いのだが、今年はなぜかR&R系の人が多く集まった。女性の出演者は石嶺聡子ちゃんだけ。だから、行くまでは異様に男臭いイベントになりそうだ、なんて思ってたんですよ、実は(笑)。でも、いざ始まってみたら確かに男臭くはあったけど、決して暑苦しくはなかったな(笑)。っていうか、潮風とR&Rって相性ばっちりなんですね!
この日、三宅伸ちゃんは、MCで「今日は反原発の歌を歌おうと思っていたんだけど、こっちにします」と言って「何にもなかった日」を演った。これがこの日のムードをよく表していたと思う。大自然に包まれた素晴らしいシチュエーションに、ミュージシャンも観客も、前向きに今を楽しもうという気分にさせられたんじゃないのかなあ…。

この日、僕は早朝にランニングした後、ちょっと足を痛めてしまっていたので、江ノ島の灯台を登るのがけっこうしんどく、おかげでオープニングで演奏されたという梅津和時さんのサックスソロは聞くことができなかった。知り合いの話だと、「東北」という新曲で涙が出るほど素晴らしかったそうだ。畜生、やっぱりエスカーに乗っとくべきだった(苦笑)。

この日のイベントは、UNITEという副題がついていたとおり、誰かのステージをベースに、ゲストとして誰かを呼び込み、数曲をジョイントしていくという流れがあった。誰それのパートっていうタイムテーブルで進むわけじゃなく、一本のイベント全体として音楽をシェアしてるフィーリングが感じられ、これはとても心地良いと思った。音楽フェスって本来こうあるべきなんじゃないだろうか。

心に残った場面はいくつもある。
ますは三宅伸治。伸ちゃんのステージは掛値なしに素晴らしかった。伸ちゃんはイイ曲がいっぱいある。歌もギターも最高だ。だけど、常連さんの多いハコでの伸ちゃんのライブはけっこう苦手なんだよなあ、オレ…。ま、その理由はそういう場でライブを観た事のある人なら、なんとなくわかると思う。でも、この日の開放された空間での伸ちゃんは最高だった。お客さんも自然に立ち上がって踊りだす。海風に吹かれながら、ゴキゲンなR&Rに身を委ねるのはなんと素敵な時間だったろう…。
先に書いた「何にもなかった日」も良かったが、僕は続けて歌われたボブ・マーリーのカバー「NO WOMAN, NO CRY」にぐっときた。伸ちゃんは、サビの歌詞を“きっと上手くいくよ、もう泣かないで…”って歌ってた。3.11以降、心配の種はたくさんある。けれど、とりあえず今こうしてレゲエのリズムで踊っていられる幸せをしみじみと感じた。
青空の下で歌われた「ベートーベンをぶっ飛ばせ!」はもう最高!伸ちゃんはギターを抱えてデッキのはるか後方まで客席乱入を敢行。ここまでやっちゃうんだ!と思わせてくれる心意気。改めて素晴らしいパフォーマーだと思った。
伸ちゃんは、ウルフルケイスケのステージにゲストとして呼ばれたんだけど、この2人はギタリスト同士だし音楽的嗜好も似ていて相性ばっちり。「スィート・リトル・ロックンローラー」のカバーなんて、まるでニュー・バーバリアンズのロニーとキースを観るよう。一部の最後は、伊東ミキオや上中丈弥も加わっての大R&R大会になった。

二部のトップバッターは、BanBanBazar。一部でガンガンに盛り上がった後なのに、さらっと出てきていつものとぼけたジャイブをプレイする、そのユルさが最高(笑)。まあ、今日みたいなシチュエーションだと、ビヤガーデンのハコバンみたいなタッチがなくもないけど(苦笑)。

二部は中川敬も登場。僕はソロの中川敬がどんなスタイルで演るのか、ちょっと興味があった。よもや弾き語りはないと思ってはいたけど(笑)。案の定、リクオがサポートに。中川、ちょっと緊張してたみたいだけど、最近出たソロアルバム収録曲を中心に数曲を披露。浅川マキさんのカバー「少年」が心に残った。

山口洋は中川敬の後にふらっと出てきて、「汚れた空気を浄化します…」とか何とか言いながら(苦笑)、石嶺聡子とのデュオで何曲か演奏。「花」は観客が固唾を飲んで見守るほど素晴らしかった。ソロになると、ヒロシは自虐MCを連発しながらアコギで弾き語り、ま、こういうイベントでのいつものスタイルだ。でも、海風を受けながらの「STILL BURNING」や「I HAVE NO TIME」はやっぱりイイ。澄んだアコギの音色が江ノ島の空高く駆け上がっていくようだった。

そして総合プロデューサーのリクオ。もうなんと言ったらいいのか、さすがのステージング。様々な場所で、様々な形態でのリクオのパフォーマンスを観てきているけれど、毎年「海さくら」で演奏する時のリクオは、その年のリクオの最新スタイルが一番良く出ているように思う。
梅津さんとのデュオは沁みた。特に、忌野清志郎作の「胸が痛いよ」は、もうほとんどスローバラードの世界。梅津さんのサックスソロはむせび泣き、リクオの歌には万感の思いが込められていた。この時、江ノ島はトワイライトタイム。ステージの後方には美しい夕焼けが広がり、墨絵のような富士山のシルエットが浮かび上がっていた。曲が終わると2人もしばし演奏を止め、観客と一緒にその夢のような光景を堪能する。

そして、リクオはこの日の出演者を次々とステージに呼び込んでいく。心に残ったのは、BanBanBazarとともに演奏した有山じゅんじのカバー「梅田からナンバまで」。そして三宅伸ちゃんが加わっての「いいことばかりはありゃしない」と「雨上がりの夜空に」。今から考えれば、リクオ・梅津さん・伸ちゃんとくれば、RC・清志郎関連の曲が演奏されるのは十分に予想できたはずなんだけど、この時の僕はまったくそれは抜けていた。なので、不意に「いいことばかり…」が演奏された時は、驚いてしまった。しかも、これが涙が出そうなぐらいにしみじみ良かったのだ…。「梅田から…」に続いて演奏されたというのも、日本のロック・R&Bのミュージシャンズ・ミュージシャンをリスペクトしていくタッチがあって素晴らしかったと僕は思う。
「雨上がりの夜空に」はもう、ありし日の清志郎のライブみたいな盛り上がり。観客誰もが踊っていた。こんな素晴らしいメンツで、こんな素晴らしいシチュエーションで、この曲が聴けるなんて…。ステージ上のミュージシャンも笑顔が弾けていた。オレ、気配を感じていた。この日、清志郎は間違いなくここに来てたと思う。

アンコールでは、被災地の避難所で子どもからお年寄りまで、最も盛り上がったという「アンパンマン・マーチ」、それに、中川敬と山口洋が並んで立っての「満月の夕」が演奏された。「満月の夕」は、共作者の中川敬と山口洋それぞれが少し異なる歌詞で歌っているが、この日は二つの歌詞を合わせて歌われた特別バージョン。2人がついにこの曲を一緒に歌った。そこに立ち会えただけでも感慨深かった。

最後の最後は、出演者全員がステージに上がって、友部正人の日本語詞バージョンで「アイ・シャル・ビー・リリースト」が演奏される。もう、なんと言ったらいいのか…。素晴らしかった。この日は先人が残したカバー曲もいくつか演奏されたが、どれもが限りないリスペクトと愛に溢れていた。
僕自身も、先人が作った日本のロック、R&Bの系譜を引き継いで今ここに立っているんだなあ、なんてことを感じさせられたイベントでもあった。江ノ島の自然に抱かれ、素晴らしい音楽を受け取り、なんだか3.11後の世界を生きる元気をいっぱいもらったような気持ちになったなあ…。夏の終わりに相応しい、ほんとうに素晴らしい一日だったと思う。 

2011年8月19日 (金)

「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」【出演】ウルフルケイスケ&リクオ サポート:朝倉真司(パーカッション) / 2011年8月19日(金) 横浜 Thumbs Up

リクオとウルフルケイスケは、よっぽどウマが合うみたい。今年の春(ちょうど震災があった頃)に行われた1回目のジョイントに続いて、今月からは11月までの長いツアーが行われることになった。この日はそのツアーの2日目。残念ながら、あいにくの雨模様の天気で観客も決して多くはなかったのだが、ノリは最高。最初から最後までパーティーのような感じで大いに盛り上がった。
Thumbs Upに言ったことのある人ならわかると思うけど、アメリカのダイナーみたいな雰囲気でドリンク&イートでライブを観るスタイルは、ハマる時はとことんハマる。ライブによっては、テーブルごとに客席が分かれる感じが馴染まずに、なかなか盛り上がらない場合もあるのだが、この日のライブは完全に吉と出た。これは、プレイされた音楽が、R&BやR&Rをベースにしたとことん明るく楽しいセットリストで貫かれていたからだと思う。やっぱ、この手の音楽にThumbs Upは最高に良く合う。僕も、ハンバーガーをほお張り、ビールを飲みながらゴキゲンな時間を楽しんだ。

ウルフルケイスケの持ち歌は、僕はほとんど知らないのだけれど、とにかく難しい話はいっさい抜きで、リズムとビートでとことん楽しもうぜ!と言わんばかりの底抜けにブライトな曲ばかり。この日のケイスケはギターを全く持ち替えず、すべてテレキャスター一本で通していたのだが、本人もステージで語っていたとおり、ギターに繋いだThumbs Up据付けのFenderアンプとの相性が抜群だった。陽気でハリのあるいかにもテレキャスらしいサウンドがフロアいっぱいに響き渡り、すごく気持ちよかった。

アンコールでは、サプライズであるお客さんへのハッピー・バースデイが歌われ、お店からケーキまで贈られる場面も。これでまたまた盛り上がった客席は、アンコール後のBGM(「君の瞳に恋してる」だったかな…)でも大合唱。これに応えて、ミュージシャン側も予定外のダブル・アンコール!ステージに出てきたリクオも“BGMでこれだけ盛り上がったライブは初めてだ…”と笑っていた(笑)。

ただ、MAGICAL CHAINを見ていると、僕にとっては、なんだかリクオのソロライブが無性に見たくなってしまうのも正直な気持ちなのだ。そういった意味では、100%ノリ切れたとは言い切れない部分もあったことを告白しなければならない。同じギタリストとのジョイントでも、山口洋とのHOBO JUNGLEでは、こんな気持ちは全く起きないんだけどなあ…。思うんだけど、ウルフルケイスケとの組み合わせはリクオの“陽”の部分をとことん光らせる反面、鬱々とした繊細な側面(それも僕にとっては大きな魅力なのだが)が目立たなくなってしまう傾向がある。そこがライブを観ていて何となく物足りなく思えてきてしまうのではないだろうか。
まあ、この組み合わせはこういうものと割り切って楽しめば良いのだと思う。この日ライブにどっぷりと入り込めなかったのは、こちらの精神状態もたぶんに影響していたに違いない。
実は、このライブ、11月にも下北沢で見ることになっている。ツアーやイベントを挟んで3ヵ月後のライブ。そこで2人のプレイする音楽がどれだけ進化しているものなのか確認するのが楽しみだ。

2011年6月13日 (月)

第6回 東京うたの日コンサート【出演】リクオ/三宅伸治 / 2011年6月13日(月)渋谷BYG

2011年6月13日(月) 第6回 東京うたの日コンサート
【出演】リクオ/三宅伸治
渋谷 BYG
前¥3000 当¥3500 開場18:30 開演19:30

うーん、いいライブだったとは思う。でも、僕にとっては今ひとつ気持ちがのめり込めない夜でもあった。今日はちょっと、盛り上がる人たちとの温度差を感じてしまったかな…。微妙な気持ちに揺れた夜だった。

BYGのライブは間に短い休憩をはさんで2部構成で行われる場合が多い。この夜もそうで、1部はオープニングをリクオと伸ちゃんが一緒に演奏し、その後2人がソロを数曲やってから、2部で共演するという流れだった。
僕が違和感を感じ始めたのは、1部での伸ちゃんのソロコーナーからだ。ここで伸ちゃんは「カバーズ」バージョンの「ラヴ・ミー・テンダー」を唄った。伸ちゃんはこの歌を唄う前、はっきりとこう言った。“じゃあ、原発反対の歌を唄います”と。そして“これは大事なことだと思うので。イタリアの国民投票はどうなりましたかね?…。気になるよね”とも言った。
正直言って、僕は今日この歌が聴けるとは思わなかったから、びっくりしたし嬉しかった。実際、伸ちゃんの歌からは今こそこれを歌わなければならないという衝動が強く伝わってきた。隣の席では伸ちゃんファンの女の子たちが大喜びで盛り上がっていたけれど、僕は歓声をあげて拍手するような気分には、どうしてもなれなかったのだ。
この違和感をもう少しわかりやすく言うと、伸ちゃんと客席との間の温度差を感じてしまったからだと思う。伸ちゃんは、タイマーズの頃からずっとこういうことを歌ってきたし、この歌の日本語詞を書いた忌野清志郎の真意をよく知っているはずだ。言い方を変えれば、彼は誰よりもこの歌を唄う権利があると思うし、それだけの覚悟を持ってこの歌を唄っていると思うのだ。それに対し、僕らは当時どれだけそのことをきちんと受け止めていたというのか…。ずっと言い続けてきた人の前で、作り手だった清志郎の意思を引き継いだ伸ちゃんを前にして、“待ってました!”と言わんばかりに拍手するような気持ちにはとてもなれなかった。なんとなく後ろめたい気持ちになってしまったのが正直なところだ。

三宅伸治ソロコーナーのラストは、3.11震災後に作ったという曲だった。エンディングに“一緒に生きていこう…”というリフレインがあり、伸ちゃんはそこを観客に歌わせた。でも、嬉々として歌う観客を前に、またしても僕はシラけた気持ちに襲われた。それは「ラヴ・ミー・テンダー」で感じたものとはまた違った理由だったのだと思う。
あんまりこんなことは言いたくないが、津波の被害こそ無かったけど、僕の地元も震災の影響を受けた。両親はいまだに通常より遥かに放射性物質の濃度が高い福島県で暮らしている。そんな現実を前に“一緒に生きていこう…”と歌って、自分がさも彼らと何かを共有しているようなヒロイズムに浸るのは違うと思ったんだよな。はっきり言って、ここだけは僕と伸ちゃんとは明らかに気持ちがすれ違っていたと思う。だけど、これが僕のその場での正直な気持ちだ。

なんとなくうやむやな気持ちで迎えた2部は、リクオ+三宅伸治による「いいことばかりはありゃしない」や「デイ・ドリーム・ビリーバー」など、まさかと思える曲が飛び出した。更には20年前にリクオと清志郎が共作した「胸が痛いよ」も…。これは掛値なしに素晴らしかったと思う。正に一期一会、気持ちのこもった場面だった。
だけど、まさか「雨上がりの夜空に」を演るとは…。最近の伸ちゃんはいつもこの曲、演ってるのかなあ?僕は全く気持ちの準備ができていなかったので、正直言ってうろたえてしまった。考えてみれば、リクオの20周年を除けば、清志郎がいなくなってからの伸ちゃんのライブをじっくり観るのはこれが初めてだ。事前にこの曲をやることを知っていれば、もうちょっと違う反応になっていたのかもしれない。あるいは、これが「JUMP」だったら…。立ち上がってノリノリで盛り上がる伸ちゃんファンを横目で見て、なんだか僕は居心地の悪さを感じてしまった。
ただ、思うんだけど、この日は立った人半分・座ってた人半分。ライブは間違いなく、ここを盛り上げどころとしていたと思うのだが、立たなかった人たちの中では、僕と同じような気持ちになった人も多かったのではないだろうか?

この夜、僕はなかなか寝付けなかった。この日ライブ中に感じたいろんな感情をひとつひとつ思い出しながら、移ろいゆく自分の気持ちを持て余した。
この日のライブで、伸ちゃんは“こんな時こそ音楽の力が必要になると信じています”と言った。そうかもしれない。いや、きっとそうだろう。でも、音楽ってのは、歌ってのは、その時その時の聞き手の感情と、歌と接してきたそれぞれのバックボーンによって、受け取り方が全然違ってくるやっかいなシロモノでもあるのだなあ、ということを体験として学んだような気がする。まして、この時期は未曾有の大震災や、故郷に対する複雑な思いや、いなくなってしまった人のことや、いろんな要素が絡み合ってるんだから、こんな気持ちになってしまうのは当然といえば当然なのかもしれない。
音楽の持つセンチメンタリズムに溺れずに、自分の正直な気持ちを大事にするのは意外と難しい。でも、本当に音楽の力を信じるならば、こんな気分の夜を潜り抜けることも必要なんじゃないだろうか。僕はそう思う。

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