マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年 / 倉持 隆夫(著)
この本は、僕が最もプロレスに熱中していた時代、プロレスがまだ楽しいエンターティメントだった70年代末から80年代に日本テレビの全日本プロレス中継でアナウンサーをしていた、倉持隆夫さんが書いた初の書き下ろしだ。
プロレスのアナウンサーというと、世間的にはテレビ朝日のワールドプロレスリングを担当していた古舘伊知郎の方が有名だと思う。だけど、往年のプロレス好きには倉持さんのファンもきっと多いのではないか。古館さんの造語連発の派手なアナウンスぶりに対し、倉持さんは一見地味だが、奇をてらわないオードドックな語り口で、実況としてとても聴き易かった。
倉持さんのスタイルは、プロレスの王道路線から決してはみ出さなかったジャイアント馬場のプロレス哲学とも通じるものがあったように感じる。エキサイティングな新日本も好きだったけど、大物外国人レスラーが続々来日して“夢の対決”を実現させていく全日本プロレスも大好きだった僕としては、全日本プロレスの雰囲気=倉持隆夫の名アナウンスと思っているところもあるので、この本は絶対に読んでおかなければならないと思ったのである。
ただ、僕は内心怖くもあったんだ。だって、昭和プロレスに関する本は、21世紀に入った今でもたくさん出版されているけれど、その中には当時の夢を打ち砕いてしまうものも多いからね…。
だいたい、倉持さんはアナウンサー勇退後に奥様とスペインに移住し、今までプロレスのことは一切語っていない。それは、この時代の思い出が必ずしもいいことばかりではないことを物語っているのではないか…。
そんな心配は全くの杞憂だった。この本は、僕が少年時代に胸焦がした、懐かしい全日本プロレスの空気がそのまま真空パックされていた。
倉持さんがこれまでプロレスを語らなかった理由も書かれていた。なんと、彼は好きでプロレス・アナウンサーになったわけではないというのだ。スポーツの現場を希望して日本テレビに入社し、たまたま担当になったのがプロレスだった。倉持さんはプロレスを好きになろうと18年間努力したけど、“実際に好きになれたかどうかはわからない”なんてことまで言っている。
あのね、倉持さん。それは違いますって!だって、そんなことを言いつつ“実はアントニオ猪木の大ファンだった”なんて、衝撃の告白をしてるあたり、あなたはもう十分すぎるぐらいプロレス・ファンです(笑)。
倉持さんって人は、つくづく真面目な人なんだと思うなあ。真面目だからこそ、社命で担当することになったプロレスを「プロレス実況」という仕事として捉えることしかできず、好きとか嫌いとかの次元では語れなくなってしまったのではないだろうか。
まあ、あれです。気にする人は必要以上に気にする“筋書き”に関することも多少は出てきます。でも、それは読んでて決して嫌じゃなかったよ。むしろ、“筋書き”は、鍛え抜いたアスリートだからこそ可能であることがよくわかって、爽快に思えたぐらいだ。
倉持さんが最後に担当したプロレス放送から、もう二十年以上の時が経つ。だけど、倉持さんはかつて土曜の夜8時にテレビの前で熱狂していた、僕のようなかつてのプロレス少年を最後まで裏切らなかったのだ。幸せな、本当に幸せな気持ちで本を読んだ。最後まで読み終わった時には、胸がいっぱいになって涙が出ちゃった(泣笑)。オレは、いい時代にいいプロレスを観てたんだなあって思う。ほんとにほんとにそう思う。
今の40代から50代の男たちは、誰もが少年時代にプロレスに夢中になった経験を持っていると思うが、僕のプロレス熱が最も高かったのは、中学から高校生にかけての6年間だ。金曜日夜8時の「ワールドプロレスリング」(アントニオ猪木=新日本プロレス=テレビ朝日)と、土曜日夜8時の「全日本プロレス中継」(ジャイアント馬場=全日本プロレス=日本テレビ)を毎週欠かさず観て、別冊ゴングなんかのプロレス雑誌も毎号買い、同級生のプロレスファンと毎日情報交換する毎日だった。
あの頃はずっとそんな日々が続くと思ってたんだよなあ…。晩酌をしながらプロ野球を見ているオヤジみたいに、自分も白髪の紳士になっても、いつまでもプロレスを観続けるんだろうと思っていたんですよ…。
気が付いたら、僕はいつの間にかプロレスを観ない大人になっていた。
東京に出てきて、後楽園ホールや国技館など、プロレスの殿堂といわれる会場にも足が運びやすくなったのに、結局生観戦は一度も経験がない。テレビも大きな試合がある時しか観なくなり、やがてはそれすら観なくなってしまった。
今や、プロレスは世間的にも人気が急落してしまった。テレビ放送は深夜枠やCS放送に追いやられ、どこの団体も経営に苦しんでいる。もはや、プロレスはマニア向けのカルトなものになり下がってしまったのだ。
でも、かつてのプロレスは決してマイナーなものじゃなかった。ゴールデンタイムに堂々とお茶の間に流れ、タイトルマッチや年末のビッグイベントでは、テレビの前で男も女も大人も子供も熱狂する、プロ野球やロックのライブと同じぐらいに楽しいエンターティメントだったのである。
もう、プロレスがゴールデンタイムで流れるような時代は二度と来ないだろう。昭和の時代にブラウン管の中で活躍していた人たちも、その多くは鬼門に入ってしまった。今、プロレスを語る時、そこにはどうしても悲しみや悲壮感が漂ってしまう。
それでも、オレはあの頃のプロレスを忘れることができない。この本みたいに、あの頃の名残が感じられるモノが世に出れば、またそっと買ってしまうだろう。
この国には、そんなオヤジたちがいっぱいいるんじゃないかなあ…。昔、村松友視さんが「男はみんなプロレスラー」なんて本を書いていたけど、その言葉の深さに40過ぎてやっと気が付いたオレなのである。
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