Running on Empty

2012年11月25日 (日)

出場回避

この3連休はマラソンのゴールデンウィーク。
今日は大阪マラソンをはじめ、つくばマラソン、富士山マラソン、神戸マラソンなど全国でフルマラソンの大会が行われているはず。

僕も今日は富士山マラソンに出るはずだったんだけど…。んー、棄権しました。
先週罹ったウィルス性胃腸炎、もうとっくに治ってるんだけど、どうもだるさが抜けなくて。調整期に入っていたこともあり、走らない日が続いて気持ちもがちょっと萎えてしまった部分も大きいな…。このまま走っても、きっと辛いだけの42.195キロになってしまうだろう。もしかしたら、これがきっかけで走ることが嫌いになってしまうかもしれない。それは嫌。
そう思って、思い切ってここは休むことにしました。

そしたら、悪いことばかりは続かないもので、東京マラソンの二次選考で見事当選!来年2月にまた東京の街中を走れることになりました。気持ちを切り替え、今後はこれに向けてトレーニングしていこうと思います。

とりあえず、今日はLSD3時間。観光客で賑わう上野の博物館周辺をゆっくりとランしました。んだん体調は戻りつつあります。都心の公園なれど、上野の森は紅葉真っ盛り。その中を駆け抜ける喜びはランナーならではのものだなあ…。こういう小さな幸せを大事にしたいもんだ。

2012年11月12日 (月)

ソツケン実施

僕がマラソン・トレーニングメニューを組むにあたっては、実は多くのものをあるコーチが書いた本を参考にしている。この人のマラソン・トレーニングは、坂道を下って足を鍛えろとか、走る前に7つ餅を食えとか、いちいち具体的なのがいい(笑)。

で、この人がレース本番前の仕上期に提唱しているのが、「ソツケン」と言われる15kmビルドアップ走だ。これは、最初の5キロをレースで走る想定のペースで走り抜け、5km~10kmはそれより1kmあたり10秒ぐらい速くしていき、残り5kmは一気に30秒近くアゲて走り切るというもの。これがクリアできれば目標タイムでゴールできる確率がかなり高くなるという。
本当は本番の10日前に行うのが良しとされているのだが、僕の場合、本番レースは25日の日曜日。なので、10日前は平日になってしまいハードな走りはなかなかできない。そこで、15日前になるけど10日土曜日に独りでソツケンをやることにした。

フルマラソンにおける僕の目標はサブ4(4時間切り)だ。ソツケンだと、最初の5kmまではレースペースの1kmあたり5:35秒で走り、10kmまでは5:25秒に上げていき、最後の5kmは一気に5:00までビルドアップすることになる。
いつもの上野公園で、GPS付きの時計を付けて走り始めた。結果、けっこう余裕を残してソツケンをクリアすることができた。これは自信になったなあ…。もちろん、最後の5kmは相当苦しかったけど、それでもラップによっては4:40秒台まで上がってたし、まあソツケン合格と言ってもいいんじゃないだろうか?
たった独りで走ってるから、こういう結果が目に見えるとすごく嬉しく、自信になるのだ。

日曜日は3時間LSDでゆっくり足を潰した。
レースまで残りあと2週間。微妙な調整期をなんとかうまく乗り切りたい。

【今後2週間の予定】
10日(土)ソツケン15㎞(5km毎にビルドアップ)
11日(日)180分LSD
12日(月)休養
13日(火)つなぎジョグ8Km(上野公園4周)
14日(水)レースペース走11.1Km
15日(木)休養
16日(金)つなぎジョグ8Km(上野公園4周)
17日(土)レースペース走11.1Km
18日(日)120分LSD
19日(月)休養
20日(火)つなぎジョグ30分
21日(水)レースペース走11.1㎞
22日(木)休養
23日(金)最終刺激2㎞(公園まで6:30でアップJog。5:00で公園2周。6:30くらいでダウンJog)
24日(土)休養
25日(日)富士山マラソン

2012年7月27日 (金)

Running Out of Luck

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走り始めてから、夏の暑さにはいっそう敏感になったような気がする。
ここ最近で一番暑かったのは一昨年の夏だ。あの年は本当に酷かったなあ…。朝早い時間に走っても全身から滝のような汗がしたたり落ち、シューズの中までぐっしょりになる有様だった。
それと比べれば、今年はいくらかマシなほう。7月は既に総計250キロ以上を走っている。この分だと今月の走行距離は300キロを超えるだろう。

僕は、今年のメインレースを11月25日(日)の「富士山マラソン」にした。
これは過去36回開催されてきた河口湖マラソンが名称を変えたものだ。今年は記念すべき第一回大会となる。参加賞もTシャツ+グラサンという豪華版(笑)。コースも少し変わるらしく、これまでは河口湖の周りを周回すものだったのだが、今年は西湖も含めた行程になるらしい。紅葉はもう終わっているだろうけど、晩秋の富士の麓を走るのは気持ちいいだろうなあ…。今からすごく楽しみにしているのだ。

今の僕のトレーニング・メニューは週5回走ることを前提としたもの。一応、こんな感じだ。

日  LSD180分 (1kmあたり7分~7分30秒ペース)
月  休み
火  つなぎJOG 10km (1kmあたり6分~6分30秒ペース)
水  ミドル走  10km (1kmあたり5分~5分15秒ペース)
木  つなぎJOG 10km (1kmあたり6分~6分30秒ペース)
金  休み
土  ロング走  20km (1kmあたり6分~6分30秒ペース)

これを夏いっぱい続け、9月中旬になったらレースペース走を入れたりして、全体に30秒ぐらい底上げしていきたいと考えている。
何としても今年はフルマラソンで4時間を切り、サブ4を果たしたい。僕は今年47歳。タイムを縮めるのに残された時間は、もうあまりないだろうから…。

そういえば、ローリング・ストーンズがアルバム「Steel Wheels」を発表し、初めて日本の地を踏んだ時のミック・ジャガーの年齢がちょうど47歳だった。ミックはこの歳になって険悪な仲に陥っていたとされるキース・リチャーズとの関係を修復し、解散寸前だったストーンズを再び動かすことを決意したのだ。8年ぶりに世界ツアーに出ることになったミックは、身体を鍛え直し、一からダンスやボイストレーニングをやったという。そんなのは、これまでの彼からは考えられないことだった。

僕は、今になってこの時のミックの気持ちがわかるような気がする。
80年代後半、ミックはストーンズを離れ、独りでアルバムを作りツアーに出た。オレはストーンズだけに収まる器じゃない、もっと外が見たいという思いで一杯だったのだろう。だが、結果的にそれは成功したとは言い難く、紆余曲折の末、結局はバンドに戻ってきた。その時、ミックは残りの人生もローリング・ストーンズのフロントマンをやり続ける覚悟を決め、もう一度自分を鍛え直そうと思ったのだろう。もしかしたら、それは盟友キースへの彼なりの誠意でもあったのかもしれない。

ミック・ジャガーは、40代前半に発表した1stソロアルバムで、Running Out of Luckという曲を書いている。これ、和訳すると「運も尽き果てて」みたいなニュアンスなのかな…。当時はそれだけ切羽詰った思いがあったのだろう。だが、ミックは自らの手で尽きかけた運をまた手繰り寄せ、21世紀になっても世界最高のR&Rバンドの王者として君臨し続けている。

あの時のミックと同い年になったオレ。さて、運はまだあるんだろうか…。

2012年3月24日 (土)

記録証、届く

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東京マラソンの記録証が届きました。
公式タイムは4時間17分56秒。ネットタイム(実際に自分がスタートしてからゴールまで)は4時間16分01秒。速報で知らされたタイムと全く同じ。もしかして時計が壊れてて実際はもっと早いタイムだったりして…な~んて甘い期待は見事にかなわず(苦笑)。計測チップの正確さに感心させられる結果と相成りました。

普段はブログに自分の写真なんか載せないけど、今回は記念に何枚か。
それにしても、あれほど苦しかったのに、カメラを向けられるとほんとに嬉しそうにしてんなあ、オレ…(苦笑)。

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2012年3月11日 (日)

3時間44分56秒。

すげーっ!安田美沙子、ほんとにやっちまった!
名古屋女子マラソン、彼女は3時間44分56秒で帰ってきた。出走前に言っていた、3時間45分切りを見事果たしたわけだ。このタイムは、市民ランナーの間では“サブ3.5”(3時間50分を切ったこと)と呼ばれるもので、どこに出しても恥ずかしくない立派な記録。
いやあ~ほんとにすごい、この子は!あんなはんなりした女の子の何処にこれだけの根性が宿ってるんだろう…。

このレースは、トップランナーの走りも見応えがあった。
野口みずき、渋井陽子、尾崎好美、赤羽有子、加納由理、中里麗美…。ロンドンオリンピックへの切符をかけての激走は最終的に尾崎が制したが、僕は野口の走りに胸を打たれたなあ…。アテネオリンピックの金メダリストも、ここ最近は故障の連続だった。4年4か月ぶりの出走となったこのレース、彼女の胸にはいろんな想いが溢れてはちきれそうだったんだろう。時にペースメーカーの前に出てしまうほどの攻めの走り。中盤で失速するも、驚異的な追い上げでまた先頭集団に追い付くド根性を見せてくれた。あまりの暴走ぶりにハラハラしながら見ていたが、ついに35Km手前で力尽き、優勝争いから脱落した。

でも、今回のレースを動かしたのは間違いなく野口だ。東京マラソンでのゲブレシアシエもそうだったけど、先頭集団の後ろから様子を伺うような展開は、金メダリストとしてのプライドが許さなかったんだろう。チャンピオンとして序盤から堂々とトップを走り、仕掛け、壮絶に散った。感動したなあ…。野口、まだまだやれると思う。

尾崎に関しては、こういってはなんだけど、ちょっと無難にまとめすぎたような気がしないでもないなあ…。意地悪な見方をすると、彼女はこのレース、代表の切符を確実に手に入れるために、リスクを犯して総合優勝を狙うよりも、無理をせずに日本人一位でいいと思って走っていたような気がする。今回はそれでいいのかもしれない。でも、ロンドンではもっともっと攻めて欲しい。彼女の潜在能力はこんなものではないはずなんだから…。

いやあ~見応えあった。名古屋女子マラソン。この日、トップランナーと同じコースを走れた市民ランナーは幸せだと思う。オレが女子だったら絶対出てみたい、このレース(笑)。
聞くところによれば、道端ジェシカも走って、4時間30分台で完走したとか。初マラソンでこのタイムは立派。っていうか、まごまごしてると僕も抜かされちゃうぞ(苦笑)。
うーん、走る女は美しい…。

2012年3月 9日 (金)

目標は安田美沙子!(笑)

どうも「東京マラソンを完走した」というインパクトは、僕が思ってた以上に大きいみたい。
職場でわざわざ他部署から話を聞きに来る人がいたり、うちの子供が学校でペラペラしゃべったもんだから(苦笑)、近所でも「東京マラソン、走ったんですって?」なんて声をかけられたりしている。

まあ悪い気分ではないし、話のネタになるから別にいいんだけど、正直言って僕のゴールタイム、4時間16分なんてのは全然大したことないのだ。ちょっと気合を入れて練習すれば、恐らくほとんどの人が達成できちゃうレベルだと思う。なので、大げさに“スゴイねえ!”なんて言われると、なんだかくすぐったい気持ちになってしまう。
それより、自分にとっては今シーズンがフルマラソンへの初チャレンジだったにもかかわらず、4ヶ月で3回フルを完走できる脚が作れたという事実の方がデカイ。次シーズンには、是が非でもサブ4(ゴールタイム4時間切り)を達成したいと思っているんだけど、その下地はできたと思ってるんだけどなあ…。

実は、サブ4を目指すようになって目標にしているタイムがある。
それは、タレントの安田美沙子が去年の湘南国際マラソンで出した3時間49分10秒という記録だ。正直言って、最近まで、安田美沙子なんて好きでもなんでもなかった。むしろ“あんな小娘に負けてられるか!”ぐらいの気持ちでいたぐらい(苦笑)。
でも、実際に自分で42.195キロを走ってみて、彼女がどれだけ努力したのか身を持って知ることになった。朝も夜もない多忙なタレント活動の合間を縫って、彼女は地道な練習を重ねてこのタイムを手にしたに違いない。そのド根性は素直にスゴイと思う。マジで尊敬しちゃいます。元々グラビア出身で、マラソンみたいな過酷な競技に飛び込む必要は全然ないっていうのに…。

安田美沙子は、今度の日曜日名古屋女子マラソンに出場する。目標は3時間45分だとか。頑張り屋の彼女なら、そのぐらいのタイムを出したって全然おかしくないと思う。ロンドン五輪の代表選考に関わるトップランナーの攻防も気がかりだけど、僕はこのレースで安田美沙子がどのぐらいのタイムで帰ってくるのか、とても楽しみなのだ。

っていうより、最近は彼女がテレビに出てるとなんだか気になって、気になって…(苦笑)。イイ子だよねえ、安田美沙子。可愛いよねえ、安田美沙子(笑)。いつか同じレースで走れたらなあ、なんておぢさんは妄想してしまうのであった(笑)。やべえ、本格的にファンになっちゃったかも…(苦笑)。

2012年3月 6日 (火)

プチ故障?

東京マラソンが終わって1週間経ちましたが、ワタクシ、あれから一度も走ってません(苦笑)。次のレースが決まってるならそろそろ始動しなきゃなんですが、今のところそれは秋になりそうだし、とりあえず少し休もうと…。ダラダラしてます。夜更かししてます。泥酔してます。あー極楽!(笑)。

で、この機会に東京マラソンでも途中から痛みだした右膝の痛みをちゃんとケアしようと思う。
今は、普通に歩く分にはほとんど違和感はない。短い距離を走る分には問題ないと思う。だけど、階段を昇るときの一歩目とかで、ちょっと違和感があるんだよねえ…。一歩目じゃ歯車が噛み合ってない感じ。2歩目で一回膝がポキッとなるとようやく自然に動く感じ。なんか気持ち悪い(苦笑)。膝を内側にぐいーっとねじるようなストレッチをすると、奥の方に鈍痛を感じる。やっぱりムキズではないんだと思う。

定期的に通ってるスポーツマッサージのトレーナーさんの話や、自分でネットで調べてみて思うに、どうも軽い鷲足炎になりかかってるんではないだろうか…。脚の内側には股関節から伸びてる腱やら、腰の下から回り込んで骨に付いてる長い靭帯やらがあるらしいんですが、膝の屈伸運動が繰り返されると、これらがお互いに擦れ合って炎症を起こすのだとか。
そういえば、レース2日後にマッサージしてもらった時も、腰の下や股関節周りの筋肉が奥のほうでかなり張ってると指摘されたっけ。長い距離を走ると、この辺りの筋肉が硬くなってくるのが膝の痛みの原因ではないかと思う。

これを克服するのは、フォームを改善するのと、ストレッチで筋肉を柔らかくすることしかないらしい。
フォームでいえば、膝頭がちゃんと前を向くように走るのが脚には一番いいといわれる。でも、これがなかなか難しいんだよなあ…。人間って、普通立ってるとき軽く足が開いてる人が多いでしょ?だけど、それは脚が捩れてる状態だから、走るときそういう足のつき方をしてはダメらしいのだ。
僕の場合、走ってるときに上から見ると、足先が逆ハの字型になっている。これを意識して爪先をまっすぐにしないといけないんだけど、なかなか…。でも、これをやらないとまた膝の激痛に泣くことになるからなあ…。

今は普段歩くときも、一本の線の上を足を揃えて歩くようイメージしたり、電車の中で立つときも足の開きに気を付けたりしてます。変な人だと思われるかもしれませんが、走らなくてもいろいろできることがあるんで、小さなことからこつこつと続けていこうと思う。

2012年2月26日 (日)

東京マラソン 2012

楽しかった!とにかくそのひと言に尽きるなあ…。
目標だったサブ4(ゴールタイム4時間を切ること)が果たせなかったのは残念だけど、それは今はイイです(笑)。とにかく、当選するのすら難しい大会に出ることができ、多くの人たちの声援を受けながら東京のど真ん中を走る体験ができた。それだけでもう充分。
噂にはきいていたけど、沿道を埋め尽くす人並みは本当にすごかった。スタートの都庁前からゴールのビッグサイトまで全く途切れることがない大観衆。その中を駆け抜ける快感は、ちょっと言葉では言い表せない。いやあ~ほんと、これまでの人生の中であれだけ大勢の人から応援されたことなんてなかったし、これからもたぶんないだろう。あれは間違いなくクセになります(笑)。アドレナリン沸騰。完全なナチュラル・ハイ状態。もしかしたら、ミュージシャンが武道館とかのステージに立つ時も、こんな気持ちになるんじゃないだろうか?そんなことをふと思った。本当に夢のような時間。マラソンを始めて本当に良かったと思う。
応援してくれた人たち、この大会を運営していたボランティアの方々、交通規制で迷惑をかけていたであろう地域の人たち一人ひとりに感謝したいような気持ちで一杯だ。

実は出走前の体調は消して良くなかった。それは、ひと言でいうと走りすぎ(苦笑)。なにしろ、前に出たレースから1ヶ月弱しか間隔が空いていない。疲労が回復しきっておらず、身体の芯に疲れが残っているような感じだった。考えてみたら、去年11月のつくばから4ヶ月で3回もフルマラソンを走っている。自分でも無茶なことをしているなあとは思う(苦笑)。
でも、毎年抽選の倍率が10倍近くに達する東京マラソン、この機会を逃したら今度はいつ出られるかわからないではないか。僕の身体だって、いつまで今のままかはわからない。だったら走ろう。無理してでも走ろう!そう思った。明日は何があるかわからないんだから、やりたいことは多少無理してでもやっておかなくては…。3.11以降、強く思うようになった僕の人生訓だ。

走り始めてからも、決して順調な42.195キロではなかった。
東京マラソンのコースはフラットで初心者にも走りやすいと言われているんだけど、それが逆に良くなかったのかも。スタートから10キロ近くまで緩やかな下りが続くので、どうしてもオーバーペースになってしまうのだ。しかも、都庁前を出発してガードを潜ると、いきなり靖国通りに入るというスペクタクルなコース展開。ふだん車がばんばん通ってる天下の大通りを、僕らのために全部封鎖してくれているわけで、これは興奮せざるを得ない!そんなわけでますますペースが上がってしまった(苦笑)。

15キロぐらい、場所でいうと日比谷公園辺りまでは1キロ5分20秒から40秒ぐらいのペース。かなり気持ちよく走っていた。
ところが、20キロを越した辺りから右膝内側が突然痛くなってくる。それでもバカなワタシは“おお~ドMなオレにぴったりな試練!”などと余裕ぶっこいていたんだけどね(苦笑)。でも、すぐにそんな余裕は無くなってしまった。冗談抜きに膝が痛い!ものすごく痛い!地面に脚をつくたび激痛が走る。
もし、これが東京マラソンじゃなかったらここでリタイアしていたかも。でも、大観衆の声援が背中を押し、脚を動かしてくれた。ほんと、レースに出ると毎回毎回思うことなんだけど、時になんで人は他人のためにこうまで優しくなれるのだろう…。僕みたいな見ず知らずのおっさんにも、寒空の下で声を限りに“頑張れ~!”と言ってくれる。これは効きます。ほんとに効きます!日本人、まだまだ捨てたモンじゃないって思います(笑)。「頑張れ!」って言葉は確かに陳腐かもしれない。でもね、本当にその言葉が必要な人にはものすごく力をあげられるんです。「頑張れ!」って、本当に素敵な言葉だとオレは思います。

それから、一番苦しかった時間帯、痛みを堪えて走っているときに沿道でスピーカーからZARDの「負けないで」を流してくれている人がいたっけ。何でもない時だったら、僕はきっと“うわ~ベタだなあ…”って苦笑いしていたかも。でも、この時は感動して涙が出そうになっちゃった。気持ちが弱ってる時だったんで、効いたなあ…。なんか、カラカラの心に水がしゅわーってしみこむような感じだった。音楽ってスゲエ!しみじみそう思いましたよ、ワタシは。
実を言うと、ZARDなんて一度も真面目に聴いたことがなかったんだけど、あの日以来、何度もYoutubeで「負けないで」を見てます。で、聞くたびにあの日この曲が聴こえてきた瞬間を思い出して泣きそうになっちゃうんだ(苦笑)。2012年2月26日以来、「負けないで」は僕にとって特別な曲になった。

35キロ付近、佃大橋を渡るのも辛かったなあ…。実は、比較的平坦な東京マラソンの中でここが最大のヤマ場。急な傾斜が多くのランナーの脚を止めてしまう。僕も“ゴール間近でこれかよ~っ!”って気持ちが折れかかった。と、ここでまたもや音楽が!なんと、今度は「ロッキーのテーマ」ときた!いやいや、これも今にして思えば、なんてベタな展開だったんだって思いますよ(笑)。でも、やっぱしあの場面ではものすごく力をもらった。こういうのは体験してみないと絶対わからないと思う。なにより、ランナーが一番苦しい所で音楽をかけて励まそうと思ってくれるっていう、その気持ちが嬉しい。

ゴールのビッグサイトが見えてきたときの嬉しさは忘れられない。偶然なんだけど、この時、雲に覆われた空からさっと陽の光りがさしてきたのも感動的だったなあ。
ゴールゲートを潜ったのは午後1時30分頃。正式タイムはまだ出てないけど、ネットタイムは4時間16分01秒(すいません、当日ケータイメールでゴールを祝ってくださった方々、2分過大申告していました(苦笑))。ボランティアの人に「FINISHER」と書かれたタオルと完走記念のメダルをかけてもらうと、やっと“ああ、終わったんだ…”という実感が湧いてくる。“おめでとうございます!”っていうひと言が本当に本当に嬉しかったなあ。あ、くたくたでしたけど、若くて可愛い女性ボランティアの前に行くことも忘れてませんでした(笑)。

東京マラソンはやっぱり特別だった。この達成感、満足感は他のマラソン大会とは全然違う。ほんと、走れるものなら何度でも走りたい!何歳になっても、それができる自分でいたいと強く思う。
ちょっと気になっているのは、20キロ過ぎから出た膝の痛みだ。これ、実は1ヶ月前にフルマラソンを走ったときにも、同じぐらいの距離で同じところが痛み出した。その時は、アップダウンの激しいコースが脚にダメージを与えたんだと思っていたんだけど、こういう平坦なコースでも症状が出たってことは、フォームの問題か、身体上の問題か、僕自身に原因があると思わざるをえない。それを克服しない限り、サブ4はちょっと難しいかも…。
ただ、脚をかばいながらペースを落として走っていたので、レース後も意外と元気だった。翌日も酷い筋肉痛に襲われることはなかったし、コンディションをきちっと整えて力を出し切れば、もっとタイムを縮められる伸びシロはあると思うんだけど。
ともかく、今はゆっくり疲れをとって、次のシーズンにサブ4に再挑戦しようかと思う。これからしばらくは、完走メダルを眺めながら一人で美味い酒が呑めそうです(笑)。

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2012年2月25日 (土)

泣いても笑っても

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いよいよ明日に迫った東京マラソン。
走り始めたばかりの頃、この大会に出るのは憧れだった。フルマラソンを走るのなんか夢の夢だったのだ。あれから2年。何度もプチ故障を経験したけれど、なんとか42.195キロを走りきれる身体を手に入れた。歳は二つ重ねたけれど、今の身体は30代のときよりも強靭になったと思う。

ただ、やっぱり回復は若いときより確実に遅い。前回走ったフルマラソンから一ヶ月おいただけの東京マラソン、なんだか、まだ身体の芯から疲れが抜けきっていない気がするのだ。腰の奥が鈍く痛いし、体幹の筋肉が堅くなっているような感覚。
でも、ここまできたらやるしかない。泣いても笑っても明日はハレの日。アドレナリンを沸騰させて東京の街中を突っ走ろうと思う。

自分が46にもなって、こんなことに夢中になるとは夢にも思わなかったなあ…。
そういえば、清志郎が本格的に自転車を始めたのも、今の僕ぐらいの歳だった。今になって、なんとなく当時の清志郎の気持ちがわかったような気がする。

2012年1月29日 (日)

地獄の苦しみ - 2度目のフルマラソン

今年初、そして自分にとっては2度目となるフルマラソンを走ってきた。
今回エントリーしたレースは、千葉県の房総半島で行われる「館山若潮マラソン」だ。東京からはちょっと遠い地で行われる大会だが、過去の写真を見たところでは、菜の花なんかも咲いていてなんだか暖かそうな雰囲気。潮風を受けながら海沿いの道を走るのはきっと気持ちいいだろうなあ~。そう思って軽い気持ちで申し込んだのだが、いやあ~甘かった!真冬の寒さとアップダウンの激しいタフなコースに翻弄され、とんでもなく過酷なレースになってしまった。
なんとか完走はしたものの、タイムは昨年11月のつくばマラソンより11分も遅い4時間17分。身体には相当のダメージが残り、ゴール後は足を引き摺りながら帰路に着く有り様だった。

この日は朝からどんよりとした雲が空を覆う真冬の天気。房総半島の突端にある館山は、まるで地の果てに来たような感じだった。寒い。ものすごく寒い!走る前から、冷たい風が容赦なく体温を奪っていく。スタートは10:00だったんだけど、それを待っている時間がものすごく長く感じられた。だけど、こんな辺鄙な場所での大会にも、全国から1万人以上のランナーが集まってくるんだから驚く。うーん、世のランニングブームってのは凄いや…。まあ、オレもその一翼を担ってるわけだけど…(苦笑)。

マラソンは、寒い日でもTシャツで走るのが基本だ。走ってれば暑くなるし、上着を着てると走ってて邪魔になる。しかし、この日はあまりの寒さにジャージや薄いジャケットを羽織って走る人が多かった。もちろん僕もウィンドブレーカーを着て走ることに。
ここでひとつ失敗したのは、荷物の中から手袋を出すのを忘れてしまい、素手で走らなければならなくなったことだ。マラソン大会は大抵の場合、荷物預かりが準備されているんだけど、参加者が多い大会だと1回荷物を預けちゃうと再度探してもらうのはなかなか大変。係員の手を煩わせるのは気が引けるし、結局、ピックアップはあきらめ、かじかむ手に息を吹きかけながら走った。だけど、これも寒さで体力が奪われる大きな要因になってしまったと思う。箱根駅伝でランニングシャツに手袋を着けたランナーの姿でわかるように、手先は身体が温まっても最後まで冷えたままなのだ。

そんなこんなで、最初からテンション下がりっぱなしだったんだけど、意外にも走り始めはけっこう好調で脚が軽く感じられた。これはレース前の2週間、けっこう意識して休足日を作っていたせいだと思う。だが、ここで自分の力を過信してしまったのが後々響くことになった。
そもそも、最初僕はこのレースを来月の東京マラソンを見据えて、ロング走的な意味合いで考えていたのだ。自己ベストの更新なんかは考えず、無理のない範囲で余力を残して走り切るつもりだった。だが調子の良さについ色気が出てしまい、知らず知らずにペースがアガってしまっていた。気が付いたら、15キロあたりは1キロあたり5分30秒台で走っていた。
ところが、このコースは予想以上にアップダウンが激しかったのだ。急な坂はないもの、次々に傾斜が現れ、平坦な場所の方が少ないぐらい。そのせいか、20キロあたりから右脚に違和感を感じるようになってきた。膝の内側が鈍く傷みだしたのだ。実はここは前々から自分のウィークポイント。長い距離を走ると痛みを覚えることがたびたびあったのだが、まさか20キロでくるとは…。まだゴールまで半分も残ってるじゃないか!
たぶん、激しい上下動のおかげでふだんより早く脚が消耗してしまったんだろう。上り坂より、下りがキツイ。とにかく膝が痛くて、とても5分台のペースじゃ走れない…。

25キロ過ぎからは、地獄の苦しみだった。痛みを騙し騙し走り続けたが、ペースはずるずると落ちていき、1キロ6分30秒台まで急降下。これはふだんのジョギングペースよりも遅いぐらいだ。ふと周りを見ると、苦しいのは僕だけじゃないみたいで、みんな軒並みペースが落ち、とぼとぼと歩いていたり、道端でストレッチをしたりするランナーが続出していた。自分も、とにかく歩かないことだけを考えてゴールをめざす。
そんな苦しい中で力づけられたのは、地元の人たちの暖かい声援だ。おじいちゃん、おばあちゃんが「がんばれー!」と声をかけてくれる。大会役員ではなく、私設エイドとして庭先で食べ物や水を用意してくれている人たちがいる。赤いほっぺの少年たちが、無邪気な笑顔でハイタッチを求めてくる。オレはこういうのに弱い。ものすごく弱い。名も知らぬ僕なんかの為に、どうしてこの人たちはこんなにも優しくできるのだろう…。後半はもうほとんど泣きそうになりながら走った。

35キロからの7キロは、本当に本当に本当に長かった。ふと海に目をやると、房総の海はとても綺麗だった。暖かい春の日に来れば“ひねもすのたり”で、きっとのどかなんだろうなあ…。でも、今は乾いた冷たい風を容赦なくランナー達に叩きつけてくる、鬼のような様相だ。

スタートしてから4時間17分。這うようにしてなんとかゴールに辿りついた。もう、体力、気力ともに限界。ものを言う力すら残ってなかった。とにかく終わった…。帰りの高速バスの中、僕は死んだように眠りこけてしまった。

今回のレースはいろんなことを教えてくれたと思う。
ひと言で言うと、たかだか1回ぐらいフルマラソンを走ったぐらいで調子に乗るな!ってことだな(苦笑)。同じ42.195キロでも、館山はつくばマラソンの走り易さとは雲泥の差。今回のタフさに比べれば、つくばなんてトラックで走ってるようなもんだ(笑)。マラソンはコースによって難易度に大きな差がある。やっぱり、事前にコースの状態をきちんと頭に入れておくべきだった。あらかじめコースのタフネスぶりがわかっていれば、もう少しうまく対応できたかもしれない。
それから、自分の決めたペースを守ることはやっぱり大事。たとえ調子が良くても中盤でぶっ飛ばしたりせず、キロ5分50秒をひたすらキープしていれば、これほど辛いレースにはならなかったかもしれない。レースにむかう自分のモチベーションも中途半端だった。最初からサブ4を狙っていくのか、東京マラソンへの繋ぎなのか、そこをもっとはっきりさせておけばレース中に迷うことはなかったと思うのだ。

でも、死ぬほど辛い思いをしても、やっぱりマラソンは面白い。だって、これほどの苦しみ、痛みを手軽に(?)感じることって他にそうそうないだろ?ボクシングやレスリング、そしてマラソンのように、チームスポーツより孤独と向き合う競技に快感を覚える人種がいる。僕がまさにそうで、マラソンをやるようになってますます自身のM体質を自覚するようになった(笑)。マラソンは走り続けるのも、脚を止めるのもすべて自分次第なのだ。その緊張感と、やり遂げた後の達成感がたまらない。
これはライブなんかに行って感じる快感とは180℃違う。ライブの観客として感じる快感ってのは、あくまでも受け身だと思うのだ。観客はプレイするミュージシャンの波動を受け止める側。それに対し、マラソンの快感ってのは、プレイするミュージシャン側の方に近いのではないかと思う。自分で波動を起こし、より能動的で生々しい。どっちがいいとか悪いとかという話ではなく、僕の中ではそういうことなのだ。自分で波動を起こして弛んだ自分に渇を入れる。今の僕にはそれがとても大事なことなのだ。

来月は東京マラソンを走る。まあ、館山を経験してるんだから、これより苦しいことはないんじゃないかと思うんだけど甘いかなあ?石原さんは雨男だからなあ。当日は大雪だったりして…(苦笑)。でも、どんな状況になろうと、いつでも42.195キロを走れる男になっていたいと強く思う。たとえ地震で帰宅困難になったって、淡々と走って家族を守れるぐらいになりたいもんです。人間、極限状態になったら頼れるのは体力だもんね。
な~んて言いつつ、今日はちょっとスポーツマッサージに行って身体をほぐしてきますわ。ちょっと使い物にならないぐらい酷い筋肉痛なんで…(苦笑)。

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